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第5部 氏名公表の壁 C過去の事例

不明者も一緒に提供
2017年5月12日

 北海道・奥尻島の最南端、青苗(あおなえ)地区の小高い丘に北海道南西沖地震(1993年7月12日)の慰霊碑「時空翔(じくうしょう)」がある。それを囲む壁には、行方不明者26人を含む奥尻町での犠牲者198人の氏名が刻まれている。

 「あの頃は個人情報の問題で悩むことはなかった。安否情報は出すもの。その考え方で動いていた」

 当時、町職員として災害対応にあたり、自身も青苗地区にあった自宅が火災で被災した「奥尻島津波語りべ隊」の竹田彰さん(64)は不明者の氏名を見詰めながら、こう振り返った。

 地震発生後、竹田さんは町役場青苗支所に向かい、安否未確認者の氏名を書くボードを作成。ベニヤ板に貼った模造紙やカレンダーの裏に、不明者氏名を書き出し、安否照会のために避難者名簿も貼り出した。

 町は警察などと共に死者、行方不明者の情報をまとめ、日々変化する「数」を役場前に掲示。毎日夕方に行った記者会見では把握できた不明者の氏名、年齢を発表していたという。

 当時の北海道新聞を見ると、7月14日付で「町役場などによる」情報として、行方不明となった児童6人の氏名を掲載。19日付で北海道警が発表した不明者(所在不明も含む)68人の氏名が載り、所在について情報提供を呼び掛けている。

 さらに町は、発災から約3カ月後の「広報おくしり」(93年11月号)に、情報提供が遅れたことの「お詫び」の文章と併せて、不明者も含めた犠牲者名簿を載せた。慰霊碑「時空翔」を囲む壁、そして町内3カ所にある地区慰霊碑にも不明者の氏名が刻まれた。

 「行方不明でも犠牲になったことに変わりはない。災害時だからこそ(氏名を)出してほしいし、当時公表してもらって良かった」。夫を亡くし、1歳10カ月だった四女が行方不明となった会社員野呂和枝さん(64)は打ち明けた。

 犠牲者名簿作成に携わった竹田さんは「不明者の氏名が出ないのは違和感がある。ただ個人情報保護法制がある今、行政としては判断に迷うところはあるかもしれない」と推測する。

 個人情報保護法は、氏名や住所など個人情報の適正な取り扱いについて基本的な事項を定めた法律で2003年に制定され、05年4月に全面施行された。一方で施行以降、「過剰反応」ともいわれる状況が指摘されている。

 多くの自治体の個人情報保護条例では「個人の生命、身体又は財産を保護するため、緊急かつやむを得ない」場合は例外とし、外部提供できるとする。だが、災害時の不明者氏名は「公表」「非公表」の対応が分かれているのが実情だ。

 町総務課の新谷(しんや)順二課長は「就職などで島外にいる人もおり、災害時に求める情報は今も昔も変わらない。その中で、(93年当時のように)情報を出すとしても、個人情報について議論にはなるだろう」と語る。

 岩手日報社が全国3地区で行った住民調査では、災害時は「プライバシーよりも安否情報が大事」との声が多数を占めた。だが、東日本大震災は不明者氏名が公表されないまま、発生から6年が過ぎた。

 野呂さんは遺族、不明者家族の一人として、こう感じている。「存在を証明するのが名前。災害時も、時間が経過しても(氏名が)出ないのは存在がなかったようではないか」

【写真=北海道南西沖地震の慰霊碑「時空翔」を囲む壁。行方不明者26人を含む犠牲者198人の氏名が刻まれている=北海道奥尻町】

【写真=1993年11月号の「広報おくしり」に掲載された「お詫び」。犠牲者名簿の提供が遅れたことをわびている】〔1993年11月号の「広報おくしり」に掲載された「お詫び」。犠牲者名簿の提供が遅れたことをわびている】

 北海道南西沖地震 1993年7月12日午後10時17分に発生した北海道南西沖を震源とするマグニチュード(M)7・8の地震。最大の被災地となった北海道・奥尻島は地震後2〜3分で津波が襲来し、死者、不明者230人のうち、奥尻町では死者172人、不明者26人で人的被害の大半を占めた。被害総額は約664億円。町は住宅再建や漁船・港の復旧を終えた98年に「完全復興」を宣言した。


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