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第4部 実名の価値 A「カトリーナ」の教訓

安否情報 住民の力に
2017年4月8日

 「行方不明のきょうだいを捜して」

 「残してきた母と連絡が取れない。この住所に行ってほしい」

 ハリケーン「カトリーナ」が米南部のルイジアナ州に上陸した2005年8月29日以降、南部各州に広域避難した被災者は、取り残された家族や知人の安否情報を求め続けた。

 最大の被災地となったニューオーリンズは、都市機能が完全に停止。本社と工場が浸水した地元紙タイムズ・ピカユーンは翌30日、配達用トラックに社員や家族数百人を乗せ、内陸部の州都バトンルージュに拠点を移した。

 同日付から3日間は紙の新聞を発行できなかったが、死者や行方不明者の氏名や住所のリストを作成し、ネットで毎日情報を更新した。災害関連死についても「犠牲者に変わりはない」と名前を掲載した。

 「ハリケーンの恐怖心から、市民は流浪の民のように散り散りになった。全ての人に不明者情報を伝えようと思った」。紙面編集を担当したテリー・バケット編集部長(55)は振り返る。

 市内から州内陸部に避難したコレット・ポーレット・プレストンさん(52)は、同紙などの不明者情報を頼りにした一人だ。

 当時、市東部の下第9区に住む母セレスティン・アンダーソンさん(73)は州内陸部に避難し、全く連絡がつかない状態だった。「どこにいるのか分からず、とても怖い経験だった」と記憶をたどる。

 その頃、アンダーソンさんは避難所を転々としていた。浸水したニューオーリンズへの立ち入りも3カ月間禁止となり、「何週間も『子どもたちはどこ?』と泣き続けていた」。

 娘のプレストンさんは、ピカユーン紙などの情報で母の安否確認を試み、最終的に赤十字社のリストで生存を確認できた。「大勢の安否不明者がいた中で、情報があると気持ちが穏やかになった。今後も同じような災害では、絶対に名前を公表してほしい」と力を込める。

 ピカユーン紙による安否情報は、最終的に数千件に上った。被災しながらも精力的にカトリーナ報道を続けた同紙は、優れた業績を残した米新聞などに贈られる06年のピュリツァー賞を速報部門と公的サービス部門でダブル受賞した。

 受賞メンバーで、今年3月まで同紙を経営するノラメディアグループ副社長を務めたジェームズ・オバーン氏(57)は「行方不明者の名前が公表されないことは、2度殺されるようなものだ」と断言する。

 誰もが経験したことがなかった大規模災害。発災当初から「非常にパワフル」(オバーン氏)に行方不明者らの安否情報を伝え続けたピカユーン紙の対応は、未曽有の大混乱がもたらす「非日常の不安」から「日常」を取り戻す大きな手掛かりとなった。

【写真=カトリーナで離れ離れになった娘のコレット・ポーレット・プレストンさん(左)と母のセレスティン・アンダーソンさん。ピカユーン紙などの安否情報発信を評価する=米国・ニューオーリンズ】



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