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第3部 見過ごされる名前 A命を刻む

複雑な遺族の「思い」
2017年3月3日

 <家族の大黒柱のような存在で、とても優しい兄でした>

 <母が体調を崩してからは、ヘルパーさんの支援を受けながら、息子と共に献身的な介護を行っていました>

 東日本大震災で犠牲になった大槌町民の生前の記録を残す同町の「生きた証(あかし)プロジェクト」事業。プロジェクト協議会(会長・高橋英悟吉祥寺住職)と町が今月、初刊行する犠牲者回顧録には、544人の「命の証し」が刻まれている。

 人柄、趣味、仕事、そして震災時の状況…。一語一文に、遺族や行方不明者家族が語った大切な人への思いがにじむ。

 義母タマさん=当時(92)、妻昌子さん=当時(73)、長男隆之さん=当時(40)=を亡くし、協議会委員も務める大槌町大槌の仮設住宅の煙山佳成(かなり)さん(78)。多くの人の目に触れることへの迷いはあったが、証しを残すと決めた。

 「なぜ家族を助けることができなかったのかと今も悔いているからこそ、命の記録を残したいと思った。それが今後の教訓にもなると信じている」

 震災で人口の約1割に当たる1285人(行方不明者や関連死含む)が犠牲になった同町で、この事業が始まったのは2014年度。15年度までの2年間に犠牲者1019人の遺族に接触し、654人の聞き取りを終えた。

 一方で、204人が拒否し、161人は態度を保留している。

 「お父さんの姿や思い出は家族の心の中に残っている。家族同士で分かり合っていればそれで十分」

 震災で夫勝利さん=当時(66)=を亡くした自営業佐藤直子さん(68)=同町小鎚の仮設住宅=はこう考え、「拒否」にした。

 大切な人との突然の別れ。理容店の仕事に没頭することで「現実から逃げていた」。夫の死を徐々に受け入れられるようになったのは、震災から2年以上がたった13年7月。大切にするアルバムの表紙の裏に<お父さん ありがとう>と書いた。

 「自分の思いをやっと文字にできたのがその頃。でも今もお父さんと孫が一緒に写る写真は裏返し。まだどこかで心にふたをしている」。ただ、こうも思う。「自分は写真がある。生きていた証しが何も残っていなければ、回顧録が心の支えになるかもしれない」

 あの大切な命を決して忘れない−。

 事業の意義をどう伝え続けていくかは大きな課題だ。遺族が亡くなったり、複数回の転居で居住先が不明になるなど、時間の経過とともに事業を進める難しさも増している。

 「この時代、この地に確かに生きていたという証しを残すことは今を生きている人々の力になる」と高橋住職(44)。

 そして、こう強調する。

 「後の世代に何を残すのか。『生きた証』から命のつながり、大切さを伝えたい」

【写真=大槌町の「生きた証プロジェクト」で刊行される回顧録に収録する原稿の一部。犠牲者の人生の歩みなどを刻み、後世に震災の教訓をつなぐ】



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