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第3部 見過ごされる名前 @命を刻む

把握に個人情報の壁
2017年3月2日

 「一人の犠牲者も見逃すまい」

 遺族たちの思いが、120人全員の実名を後世に残すことにつながった。

 昨年6月、山田町大沢の遺族会が中心になって建立した東日本大震災の慰霊碑。黒御影石に3列にわたって刻まれた大沢地区の犠牲者名が被災規模を物語る。

 だが、ここまで来るのは容易ではなかった。

 「地域として亡くなった人を悼む。その理解を得ることにも苦労した」。大沢地区の遺族会長、福士勝久さん(72)は振り返る。

 2015年6月に遺族会が正式発足後、福士さんたちは慰霊碑に名前を刻むため遺族の承諾を求めて回った。一度電話した後に連絡が取れなくなった遺族や身よりのない犠牲者もいて、親戚や同級生をたどりながら作業を進めた。名簿を回覧板に掲載し、漏れた情報がないかと何度も確認した。

 そもそも名前が公表されているのは亡くなった人だけで、行方不明者と関連死の人たちは知るすべがない。行方不明の8人は地域で聞いて把握できたが、関連死については困難を極めた。

 福士さんも町内の介護老人保健施設に入所していた兄勝之さん=当時(68)=を被災から約1カ月後に亡くし、関連死の認定を受けていた。だが、他の世帯は知らない。当時は「皆が被災した中で、弔問の負担をかけたくない」と口にしたがらない人も多かった。

 いちるの望みを託し、町役場に情報提供を求めたが、「個人情報だから教えられない」の一点張り。結局、最後まで関連死1人の把握ができず、建立時は119人を刻んだ碑での除幕を余儀なくされた。

 それからしばらくして、地元の佐々木正美さん(67)から連絡があった。被災の約1カ月後に自宅で義母ムラさん=当時(82)=を脳出血で亡くし、半年後に震災関連死として認められていたという。

 建立から2カ月後の昨年8月。最後にムラさんの名前が刻まれ、ようやく地区の碑は「完成」した。

 正美さんは「津波がなかったら今も元気でいてくれた。名前が入ったことで、子や孫にも忘れないように伝えていける」と喜ぶ。

 震災から間もなく6年。犠牲者全員を地域で把握できた大沢地区では七回忌法要を11日に執り行う。だが、本県では今も行方不明者1123人、震災関連死461人の名前は公表されないままだ。

 一人一人の名前を刻み、追悼をしようにも「個人情報」が大きな壁となる時代。

 「行政が名簿を提供してくれれば混乱はなかった。震災のような大規模災害の時は、名前を公表しないという厳格な判断を押し通す必要があるのだろうか」。福士さんが問い掛ける。

 本県でも進む社会の匿名化は、震災の犠牲者を悼むことを難しくしていた。ひいては、コミュニティーの枠組みから見過ごされる人たちが生じ、大規模災害時に命を守ることを難しくするリスクをはらむ。要支援者や集合住宅の安否確認の課題にも触れ、教訓を伝え、共助の取り組みを再構築する方策を探る。

【写真=東日本大震災で犠牲となった120人の名前が刻まれた慰霊碑を見つめる佐々木正美さん(手前)と福士勝久さん。犠牲者を悼み教訓を後世に伝えることを誓う=山田町大沢・南陽寺】



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