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第2部 命の名簿 A伝える責務

「誰が生存」まず報道
2017年2月3日

 東日本大震災発生から3日後の2011年3月14日。岩手日報の紙面2ページにわたり名簿が掲載された。陸前高田市や山田町など6市町村の避難所に身を寄せる2682人の名前。同日から22日間にわたり、約5万人分を掲載した最初の「命の名簿」だった。

 「避難所に張り出されている名簿に、人だかりができています」

 12日の夕方。陸前高田市高田町の陸前高田・一中で取材し、盛岡市の岩手日報本社に戻った八幡平支局長斉藤陽一(39)=現運動部次長=は、災害デスクの太田代剛(たけし)(44)=現報道部次長=に伝えた。その後に帰社した、報道部記者佐藤俊男(35)=現学芸部記者=も「必要なのは安否情報です」と訴えた。

 従来の災害報道は犠牲者の名前を載せることが基本だった。だが、被害はあまりに甚大。犠牲者の発表がいつになるか分からない。誰が生きていて、どこにいるのかも全くつかめない。

 「生きている人の名前を載せましょう」

 どんな状況でも被災者が求める情報を掲載すべきだ。こう考えていた太田代は、すぐ上司に相談した。

 先例はない。「現地の状況を報道すべきだ」「どのくらいの量になるか見通しは」「名簿の入手方法は」−。紙面内容を決める会議で意見が飛び交った。

 じっくり議論している時間はなかった。最終的に決断したのは、「現場の意見を尊重する」という紙面づくりの考え方だった。

 掲載に向けた作業は手探りだった。名簿の情報は現場の記者がカメラで撮影するなどして入手し、持ち帰った。本社では名簿処理班を編成。運動部や学芸部の記者を中心に編集局以外の応援も加わり、多い日で50人が名簿チェックや原稿の打ち込み、読み合わせ作業に当たった。

 名簿は判読不能な字も少なくない。確認できない名前を掲載することは通常はないが、「菊池●」など黒い丸を充てて掲載した。少しでも手掛かりになればという思いだった。「私はここで生きています」。避難者の叫びに応えるためにもマニュアルにこだわる必要はなかった。

 反響は予想以上だった。

 問い合わせの電話は鳴りやまず、1日100件を超えた。避難所には紙面をくしゃくしゃになるまで読む被災者の姿。ホームページはアクセスが殺到し、73万件を超える日もあった。サーバーは悲鳴を上げ、ダウンした。

 伝えるべき情報は何か、気付かされた瞬間だった。

 当時、編集局次長だった川井博之(59)=現常務取締役販売・広告事業担当=は「今必要とされていることを、できることからやる。その象徴が名簿報道だった。それは今も続く震災報道につながっている」と振り返る。

 災害時、被災地の惨状を伝えるだけが災害報道なのか。避難者名簿の掲載は報道機関として、その原点を自問自答するきっかけとなった。災害初期に最も「知りたい」ことは一人一人の名前を伝える安否情報。震災を経た私たちはそう確信している。

【写真=体育館の壁に避難者の名簿が張りだされた3月12日の陸前高田・一中と約5万人の氏名を掲載した岩手日報紙面のコラージュ。東日本大震災直後、被災地では安否情報が求められていた】



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