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第2部 命の名簿 @避難所での掲示

「ここで生きている」
2017年2月2日

 色あせて、黄色みがかった1枚の模造紙に平仮名、カタカナ交じりの名前がびっしりと書かれている。

 ここで生きている−。

 今も残る陸前高田市高田町の和野会館に避難した人たちの名簿は、生存を証明する「命の名簿」だった。

 2011年3月11日。震災で津波被害を免れた和野会館に避難者が集まり始めたのは午後3時半すぎだった。市指定の避難所ではなかったが、自主防災会を組織していた地元の上和野(かみわの)町内会が自主的に開設していた。

 避難者は次々と増え、午後5時半ごろにはあふれかえった。多くは浸水区域から避難してきた他地区の住民。顔を見たことがあっても、名前は分からない。

 同町内会事務局長だった千葉浩一さん(74)が声を上げた。

 「ここに誰がいるのか把握しなければ。名簿を作ろう」

 動きだしたのは自主防災会広報班のメンバーたちだった。その一人、熊谷明美さん(55)は真っ暗な部屋を懐中電灯を手に回り始めた。

 「名前と住所、いいですか?」

 余震におびえ、不安の中で字が書けない避難者もいた。熊谷さんが聞き書きしながら、約3時間かけて避難者名簿を完成させた。リポート用紙10枚ほど。100人以上の名前が並んだ。

 11日夜から会館入り口に受付をつくり、24時間態勢で安否確認に対応した。

 家族の無事を知り泣き崩れる人、わずかの情報でも喜ぶ人…。名前を模造紙やカレンダーの裏に書き写し、玄関先に張りだしたのは2日後の13日からだった。

 当時、同市に避難所の運営マニュアルはなく、住民が判断するしかなかった。

 「名簿はここにいるという証し。少しでも早く情報を提供するために、掲示することに迷いはなかった」と熊谷さん。

 拒否したり、反対する人はいなかった。

 最大1250人が避難した同市高田町の陸前高田・一中でも避難者名簿を作成、掲示した。「校庭の車にいます」「会えなかったのでまた来ます」−。安否確認だけでなく、張りだした紙が伝言板の役割も果たした。

 避難所運営に携わった中井力(つとむ)さん(67)=同市高田町=は「家族や知人の無事を知れば、不安を一つ取り除くことができる。プライバシーを守る必要もあるが、張りだしは有効だった」と振り返る。

 上和野町内会の千葉さんは現在、避難所運営で得た教訓をまとめた記録集を作っている。避難者名簿の作成・掲示の重要性も盛り込む予定だ。

 「避難者名簿は、住民の命を守るものだ。災害時に何の情報が一番大切かを考えれば名簿を作り、いち早く伝えることだと思う」

【写真=避難者を記した名簿に目をやる千葉浩一さん(左)と熊谷明美さん。和野会館に張りだし、安否情報を発信した=陸前高田市高田町・和野会館】



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