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 訃報 
−2015年8月−

 澤田 与治郎氏(さわだ・よじろう=元盛岡市立川目小校長)

 22日午前5時10分、急性心臓死のため盛岡市内の高齢者福祉施設で死去、95歳。紫波町上平沢出身。自宅は盛岡市下ノ橋町。火葬は25日午前10時から同市三ツ割の市斎場やすらぎの丘、葬儀は同日午後2時半から同市北山2丁目の北山浄光会館で。喪主は長男克也(かつや)氏。

 一戸町立小友小、紫波町立彦部小、雫石町立南畑小の校長も務めた。


 太田 祖電氏(おおた・そでん=旧沢内村長)

 23日午前4時3分、急性呼吸不全のため西和賀町内の病院で死去、93歳。同町沢内出身。自宅は同町沢内太田。火葬は27日午後1時半から同町沢内鍵飯のにしわが斎苑、葬儀は9月24日午後1時から自宅の碧祥寺で。喪主は孫の宣承(せんしょう)氏。

 1956年同村教育長に就任。73〜93年の5期20年村長を務め、生命尊重の理念の発展に尽力。退任後はNPO法人深沢晟雄の会の理事長として、深沢村長の資料館整備など継承活動に取り組んだ。


 小山田 義身氏(おやまだ・よしみ=元全国鉄構工業連合会会長)

 16日午後5時52分、脳梗塞のため、盛岡市内の病院で死去、89歳。八幡平市(旧安代町)出身。自宅は盛岡市津志田南。火葬は近親者で済ませた。葬儀は小山田家、小山田工業所、オヤマダエンジニアリングの合同葬で、9月16日午後1時から盛岡市愛宕下の盛岡グランドホテルで。喪主は長男周右(しゅうすけ)氏。

 48年小山田溶接工業所(現小山田工業所)を創業。小山田工業所、オヤマダエンジニアリングの社長、会長を歴任。15年3月両社相談役。

 82〜86年に全国鉄構工業連合会会長(現・全国鉄構工業協会)を務めたほか、県中小企業団体中央会副会長、県機械金属工業協同組合連合会会長などを歴任した。


 鳴海 新氏(なるみ・しん=医療法人こもれび会理事長)

 21日午後3時51分、病気のため盛岡市内の病院で死去、67歳。青森市出身。自宅は盛岡市小鳥沢。火葬は26日午前11時から同市三ツ割の市斎場やすらぎの丘、葬儀は29日午後1時半から同市愛宕町のメモリアルホールもりおか長安殿で。喪主は長男新介(しんすけ)氏。

 90年に盛岡駅前に「なるみ脳神経クリニック」を開設。91年4月より東北地方で初めて「脳ドック」を開始した。


 吉田 清一郎氏(よしだ・せいいちろう=元久慈市収入役)

 22日午前7時39分、肺炎のため盛岡市内の病院で死去、93歳。久慈市出身。自宅は久慈市天神堂。火葬は24日午前9時から同市夏井町の久慈地区斎場、葬儀は同日正午から同市門前の長泉寺で。喪主は長男雅典(まさのり)氏。

 79年から83年まで久慈市収入役。87年から久慈市議を連続2期務めた。


 鈴木 常夫氏(すずき・つねお=元鵜磯小校長)

 18日午前3時12分、心不全のため宮古市内の病院で死去、83歳。山田町出身。自宅は山田町山田。火葬は20日午前10時から同町織笠の町斎場、葬儀は同日午後2時から同町長崎4丁目の山田通夜会館で。喪主は妻由美子(ゆみこ)さん。


 小苅米 瑞代氏(こがりまい・みずしろ=ジョイス最高顧問、小苅米秀樹ジョイス社長の父)

 7月29日午前5時、咽頭がんのため盛岡市内のサービス付き高齢者向け住宅で死去、93歳。一戸町出身。火葬、葬儀は近親者で済ませた。ジョイス主催の「お別れの会」は9月11日午後1時から盛岡市愛宕下の盛岡グランドホテルで。喪主は長男清隆(きよたか)氏。

 51年に一戸商店専務となり、58年のスーパーマーケットへの業態転換に尽力。65年同商店社長。79年いちのへ社長、90年ジョイス会長。98年から現職。


 伊藤 昭和氏(いとう・てるかず=元岩手町・南山形小校長)

 13日午前10時24分、心肺停止のため、盛岡市内の病院で死去、81歳。一関市薄衣出身。自宅は盛岡市緑が丘。火葬は16日午前9時半から同市三ツ割の市斎場やすらぎの丘、葬儀は17日午前11時から同市名須川町の龍谷寺で。喪主は妻テイ子さん。

 岩手町障害児教育研究会長も務めた。


 金沢 勘兵衛氏(かなざわ・かんべえ=前県漁連会長)

 12日午前7時半、急性心臓死のため岩泉町小本の自宅で死去、94歳。同町小本出身。火葬は14日午後1時から岩泉町岩泉の岩泉斎場、葬儀は18日午後1時から同町小本の宗得寺で。いずれも近親者で執り行う。喪主は妻チエさん。

 岩手商業学校を卒業後、家業の漁船漁業に従事。1956年から2013年まで19期57年にわたって小本浜漁協組合長を務め、地域経済の発展に貢献。99年から2期6年務めた県漁連会長時代は、漁協合併や輸入ワカメ減を目指す日中民間交渉に取り組んだ。51年から旧小本村議と岩泉町議を通算9期、83年から県議を2期8年務めた。02年県勢功労者。


 小原 勸氏(おばら・すすむ=元県バスケットボール協会理事長)

 11日午前6時23分、老衰のため盛岡市内の病院で死去、85歳。盛岡市出身。自宅は同市高松。火葬は12日午後2時から同市三ツ割の市斎場やすらぎの丘、葬儀は17日午前11時から同市みたけのセリオホールみたけで。喪主は女婿増沢卯一(ますざわ・ういち)氏。

 75年から82年まで県協会理事長、83年から18年間県協会副会長。37年間の教員生活で盛岡工高、福岡高、盛岡一高を通算10度全国高校総体に導いた。05年にスポーツ普及振興功績で文部科学大臣表彰。


 千葉 良子さん(ちば・りょうこ=民部田幾夫岩手町長の義母)

 4日午後9時28分、胃がんのため奥州市内の病院で死去、78歳。奥州市胆沢区出身。自宅は同市水沢区佐倉河字西舘。火葬は6日午後2時半から同市水沢区佐倉河のさくらぎ苑、葬儀は9日正午から同市水沢区の自宅で。喪主は女婿郁夫(いくお)氏。


 高橋 慶一氏(たかはし・けいいち=元県立農業試験場長)

 3日午前9時50分、肺炎のため盛岡市向中野の自宅で死去、87歳。奥州市江刺区出身。火葬は6日午前9時半から盛岡市三ツ割の市斎場やすらぎの丘、葬儀は同日午後1時から同市仙北2丁目の長松寺で。喪主は妻京子(きょうこ)さん。

 県園芸試験場長も務めた。


 金野 誠氏(こんの・まこと=元一戸高校長)

 3日午後8時57分、急性心不全のため、盛岡市内の病院で死去、82歳。釜石市出身。自宅は盛岡市高松。火葬は7日午前11時から盛岡市三ツ割の市斎場やすらぎの丘、葬儀は同日午後2時から同市仙北3丁目のセリオホール仙北で。喪主は妻和子(かずこ)さん。

 雫石高校長も務めた。


 松村 健一氏(まつむら・けんいち=元洋野町・帯島小校長)

 2日午後2時26分、脳梗塞のため北海道富良野市内の病院で死去、71歳。北海道弟子屈(てしかが)町出身。自宅は久慈市天神堂。火葬は北海道で行い、葬儀は7日午後1時から同市長内町のメモワールノヴァ長内館で。喪主は妻トモエさん。

 93〜95年に洋野町・大和小校長を務めた。


 菊池 宏治氏(きくち・こうじ=元西和賀町・猿橋小校長)

 2日午後2時18分、高カリウム血症のため北上市内の病院で死去、83歳。北上市出身。自宅は北上市川岸。火葬は4日午前10時から北上市北工業団地のしみず斎園、葬儀は同日午後1時から同市川岸の染黒寺で。喪主は長男永治(えいじ)氏。


 田屋 清氏(たや・きよし=元原敬記念館館長)

 1日午後10時15分、心不全のため、盛岡市内の施設で死去、92歳。盛岡市手代森出身。自宅は盛岡市東緑が丘。火葬は3日午後3時から盛岡市三ツ割の市斎場やすらぎの丘、葬儀は4日午前11時から同市大慈寺町の永泉寺で。喪主は長男薫(かおる)氏。

 盛岡市立図書館長も務めた。


 二階堂 南夫氏(にかいどう・なみお=元軽米高校長)

 1日午前7時55分、多系統萎縮症のため盛岡市内の病院で死去、72歳。北上市柳原町出身。自宅は矢巾町西徳田。火葬は4日午前11時から矢巾町白沢の矢巾斎苑、葬儀は同日午後2時から盛岡市中野2丁目のセリオホール中野で。喪主は妻勝美(かつみ)さん。


 河野 茂氏(こうの・しげる=旧宮守村助役)

 7月31日午後6時50分、肺炎のため花巻市内の病院で死去、94歳。遠野市宮守町出身。自宅は遠野市宮守町下宮守。火葬は3日午後2時から同市遠野町の市斎場で、葬儀は4日午前11時から同市宮守町下宮守の宮守葬祭センターで。喪主は三男静也(せいや)氏。

 71年から91年まで助役を務めた。


 高橋 武彦氏(たかはし・たけひこ=元県印刷工業組合理事長、元河北印刷社長)

 7月30日午前10時27分、心筋梗塞のため盛岡市内の病院で死去、84歳。宮城県大河原町出身。自宅は盛岡市高松。火葬は2日午後1時から同市三ツ割の市斎場やすらぎの丘、葬儀は同日午後3時半から同市愛宕町のメモリアルホールもりおか長安殿で。喪主は妻千恵子(ちえこ)さん。

 96〜00年に県印刷工業組合理事長を務めた。


 菅原 力氏(すがわら・つとめ=一関・旧津谷川小元校長)

 31日午前2時46分、がん性腹膜炎のため、一関市内の病院で死去、85歳。一関市藤沢町出身。自宅は一関市藤沢町保呂羽字大沢田。火葬は2日午前11時から同市千厩町の千厩斎苑、葬儀は3日午前11時から同市藤沢町の藤源寺で。喪主は長男光博(みつひろ)氏。

 二戸市の旧海上小の校長も務めた。


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