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 第63回岩手日報文化賞

社会部門
 統合さんさを考案、東北有数の祭りへの発展を支えた
盛岡さんさ踊り振興協議会(盛岡市)

伝統継承、発展に尽力

 「さんさを通じ、盛岡の魅力を発信し続けたい」。盛岡さんさ踊り振興協議会は1976年に盛岡市を中心とした伝統さんさ踊り団体で設立し、現在は18団体で構成。盛岡さんさ踊り実行委と一体で、盛岡さんさ踊りの運営や全国への派遣事業、イベント出演などに尽力している。第40回の節目を迎えた今夏の盛岡さんさ踊りも成功に導いた。

 伝統さんさ踊りは各地域で独自に受け継がれ、演目や踊り方、テンポも異なる。78年に盛岡川まつりから踊りのパレードを主体とした現在の盛岡さんさ踊りに移行する際、同実行委の依頼を受けて各団体に共通する踊りや演目を分析して初心者でも踊りやすい「統合さんさ」を考案。祭り発展の礎を築いた。

 企業や学校で講習会を実施するなど、長年にわたって踊りの普及に努めてきたことで、統合さんさが定着。初回は1500人程度だった出演者数が3万5千人前後まで増加し、今夏の観客数は計133万5千人に上る。

 全国や海外から同実行委に寄せられる出演依頼にも対応し、東北6県を代表する祭りが一堂に会した「東北六魂祭」、後継の「東北絆まつり」にも出演。2014年の「和太鼓同時演奏の世界記録」の更新、16年の岩手国体本大会開会式での大群舞披露など盛岡、岩手の発信に大きな役割を果たしている。

 伝統継承にも力を入れ、各団体の発表や映像保存の場として「伝統さんさ踊り競演会」を継続開催。伝統さんさに取り組む子どもを対象にした「さんさ踊りこども発表会」も始めた。

 浅沼久志会長(67)は「受賞は驚きだが、実行委と力を合わせてさんさ踊り振興に努めてきた成果だと思う。地域を愛する心とおもてなしの精神を軸に、ぶれずに発展させていく」と誓う。

【写真=第40回盛岡さんさ踊りで伝統の舞を披露する踊り手たち=8月1日、盛岡市】


学芸部門
 児童文学作家
 柏葉 幸子さん(64)(盛岡市本町通3丁目)

物語の魅力、次世代に

 盛岡市の児童文学作家柏葉幸子さん(64)は、東北薬科大在学中の1974年に「霧のむこうのふしぎな町」で講談社児童文学新人賞を受賞し、デビュー。同作は3世代にわたって読み継がれる名作で、ミュージカルにもなった。

 生まれは宮古市。小学2年まで遠野市、その後は花巻市で育った。作家志望が特別強かったわけではないが、子どもの頃に読んだ児童文学作家佐藤さとるさんの「だれも知らない小さな国」に憧れてペンを握ったことが、この道につながった。

 デビューから40年以上が経過。作品は「ミラクル・ファミリー」(講談社)や「モンスター・ホテル」シリーズ(小峰書店)のほか、8月発売の「涙倉の夢」(講談社)など約80冊に上る。薬剤師として働きながらの創作活動が長いが、作家に専念する近年はさらにそのペースが上がった。「書くことが生活の一部。物語をつくること、書くことが楽しい」と意欲は衰えを見せない。

 2014年5月から本紙の子ども向け新聞「日報ジュニアウイークリー」で60回連載した「岬のマヨイガ」は、15年講談社から書籍化され、16年野間児童文芸賞受賞。闇を抱えた少女の周りに不思議なものたちが集まるシーンは「遠野物語」を彷彿(ほうふつ)とさせる。題材に東日本大震災を含むだけに「途中で連載中止になるかも」と心配したが、沿岸の子どもたちの感想は「主人公が自分みたいに悲しい思いをしたんだ」と想像とは違うものだった。

 本の魅力を楽しそうに語る姿は「本好きだった」少女時代と変わらない目の輝き。「本を読み終えて『あぁ面白かった』と思ってもらいたい。そう言ってもらえる日が来るよう、諦めずに書き続けたい」。力強く今後の目標を語った。

【写真=「読書は相手を思いやる心や未来を創造する力を育むことにつながる」と語る柏葉幸子さん】


産業部門
 東日本大震災の被災を乗り越えスーパーマーケットを展開するマイヤ社長
       米谷 春夫さん(70)(陸前高田市竹駒町)

地域密着、復興へ歩む

 本県沿岸部を中心に県内外にスーパーマーケット15店舗を展開するマイヤ(大船渡市)。東日本大震災による被災から力強く復旧復興へ歩を進めた6年間を米谷(まいや)春夫社長(70)は「マイヤは住民のライフライン。『復興しなければ』という思いだけで、悲しみに暮れる時間もなく、無我夢中だった」と振り返る。

 同市は1960年、チリ地震津波に襲われた。翌年、父淳(きよし)さんが前身となる「主婦の店」を創業。商号をマイヤに変え、後を継いだ米谷社長は2001年、盛岡市に青山店を構え内陸部への出店攻勢を開始する。

 「沿岸では『マイヤは永久に不滅だ』という雰囲気が社内にあった。いくつもの壁にぶつかったが、盛岡に打って出たことで社員の向上心も高まった」と企業としての成長を実感する。

 着実に店舗網を広げていた同社を11年3月11日の津波が襲う。沿岸6店舗が被災し企業規模の4割が被害を受けた。当日、米谷社長は東京に出張中。そんな中、店舗従業員は自主的に客の避難誘導に当たったほか、被災を免れた店舗はいち早く店を開け市民の命をつないだ。危機的状況で発揮された現場力。「トップの仕事は健康的な企業文化をつくること。それが定着していてうれしかった」と社員への感謝は尽きない。

 こだわるのは地域密着だ。14年には東北のローカルスーパー3社と経営統合し共同持ち株会社マークスホールディングスを設立、会長に就任した。

 今年4月には震災の爪痕が深く残る地元・陸前高田市中心部に高田店を開店。「地元ではない企業に新しい市街地をつくることは任せられない」と使命感が出店を決意させた。同社の震災復旧はこれで一区切り。盛岡以南に商機の芽を見据えるなど挑戦の日々は続く。

【写真=「市民のライフライン復興へ無我夢中の6年間だった」と話す米谷春夫社長】


(2017.10.25)

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