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 第62回岩手日報文化賞

社会部門 「メガネボランティアinネパール」を続ける 松田 陽二さん(58)(盛岡市上田2丁目)

「見える」笑顔が励み

 「『うれしい、見える』という笑顔が何ともいえない。その笑顔に触れると『また、来年も来よう』と思う」

 1998年から毎年、全国各地から提供を受けた眼鏡フレームを携えてネパールの無医村を訪問している。村人一人一人に視力検査やレンズ度数の調整をし、眼鏡を贈る「メガネボランティアinネパール」。12年目の今年も来月中旬にネパールを訪れる予定だ。

 昨年まで11回の訪問で眼鏡を手にした人は延べ3178人。併せて実施しているネパール人眼科医による診療を受けた人は2428人に上る。

 「現地はまきが燃料。煙による影響なのか結膜炎にかかる人が多く、高地の強い紫外線に起因する白内障もよく見られる」という。

 活動のきっかけは94年、仲間4人で訪れた写真撮影旅行だった。知り合った日本語学校生と交流するうちにネパール人の温かい心に触れ「何かしよう」と決意した。

 最初は木の伐採で丸裸になった土地への植樹を考えた。ところが膨大な費用と人手が必要なことが分かり、断念。「眼鏡屋なんだから眼鏡で役に立とう」と発想を換えた。

 訪問団が村で活動を始めると、数百人が順番を待つ。現地の国立外国語学院日本語課程の学生らボランティアの協力を得て懸命に進めるが、昼食が夕方になることもある。

 首都カトマンズの眼鏡店でレンズをはめてもらい、約1週間後に再び訪問。装着具合を調整してから手渡す。

 検査、検診から再訪問するまでの期間を利用し、学校や児童養護施設などを回り、県民などから寄せてもらった文房具や学校保健薬、工業高校生らに修理してもらった車いすを贈っている。

 「ここまで続けてこられたのは周りの人たちの協力あってこそ」と松田さん。今年は来月18日から12日間の予定で、10年ぶりにセティデビ村を訪ねる。前回手づくりの感謝状を贈られたという思い出の地。「懐かしい人に会えるかな」。松田さんの表情が和んだ。

【写真=ネパールで眼鏡提供のボランティア活動を続ける松田陽二さん。来月の訪問を前に準備に追われている】


学芸部門 石川啄木研究に情熱 遊座 昭吾さん(82)(盛岡市箱清水)

天才歌人との縁 胸に

 盛岡・渋民が生んだ天才歌人石川啄木の研究に情熱を傾けてきた。1995年から3年間、国際啄木学会会長を歴任。啄木研究の国際化に貢献した。

 啄木が幼少時に過ごした渋民・宝徳寺の生まれ。啄木が詩作にふけった同じ部屋で育つ。「おかげで同様の背景を持っている」。まさに託された使命。「悲しき玩具」の一首「ふるさとの寺の畔(ほとり)の/ ひばの木の/いただきに来て啼(な)きし閑古鳥(かんこどり)!」に共感する。

 北海道に渡って新聞記者となり、転々とした啄木。「飽きっぽいからではない。転々としていい。僧侶は『一処不住(いっしょふじゅう)』。寺は檀家(だんか)から預かるもの。啄木は寺の子として父親の姿を見てきたのだから」

 初任地での高校教師時代、実家の寺に帰省すると啄木研究本がたくさん置かれていた。母親は言った。「大学の偉い先生が来て調べている。おまえは何をしている」。学生時代は近世文学専攻だったが、これを機に、研究対象としての啄木に正面から向き合うようになる。

 高校、大学で教壇に立つ傍ら、数々の論文執筆、著作を手掛けた。88年に「啄木秀歌」で岩手日報文学賞啄木賞受賞。「研究と同時に顕彰も大事」と、旧石川啄木記念館建設の企画・立案、86年の新記念館建設を含む生誕百年記念事業などでも中心的役割を果たす。

 盛岡大助教授時代(後に教授)の89年、国内の啄木研究者らと語らって国際学会設立に尽力。初代事務局長として支え、第2代会長就任1年目には地元で大会を開催。学会は今年20周年を迎えた。「日本人の啄木観ではない外国の研究家から教えられることは多い」。意義と成果をかみしめる。

 大学卒業後、岩手日報社に勤めた経歴がある。見出しを付けて紙面をレイアウトする整理部記者。「限界を感じて」辞めたが、「礼を尽くして退社したためか、教育担当記者が高校長と面接の機会を与えてくれた」と感謝する。初任地で同社支局舎に夫婦で住んだことも思い出だ。

【写真=「国際啄木学会の意義は大きい。外国人は外国流に啄木を理解していい」と熱く語る遊座昭吾さん】


産業部門 地域密着経営のスーパー ジョイス(小苅米秀樹社長)

地域への奉仕 脈々と

 我等(われら)は常に誠実と親愛とをもって
 お客様に奉仕し
 その日常の生活をより豊かにして
 暮らし良い社会をつくることを
 与えられた使命と信ずる

 県内ナンバーワン・スーパーとして躍進する「ジョイス」が1959年に制定した「信条」。一貫して受け継ぐ地域社会への誓いだ。

 「至らぬところはあるが、信条の実現が事業目的。今後も変えるつもりはない」。小苅米(こがりまい)秀樹社長(46)は、きっぱりと言う。

 ジョイスは1928(昭和3)年、盛岡市本町で精肉店「一戸商店」として産声を上げた。創業者は一戸町出身の小苅米謙太郎さん、セキさん夫妻(ともに故人)だった。

 スーパーマーケットへの転換は58年。経営を受け継いだ長男の瑞代(みずしろ)さん(87)が県内3番目のスーパーとして開業、3年後に「いちのへストア」に名称を変え、店舗網を広げて売り上げを伸ばした。

 社業をさらに発展させたのは、90年に社長に就任した謙太郎さんの四男淳一さん(67)=現会長。社名をジョイスに改め、4年後には株式の店頭上場(現ジャスダック市場)を実現させた。本県と秋田県に40店舗を数え、経営基盤は揺るぎないものとなる。

 競争が激化する業界だが、いちのへストアの時代から多くの消費者に親しまれてきた背景には「信条」に掲げた奉仕の精神がある。

 「親切な従業員がいて、鮮度と味の良い商品が置いてある。それが『いちのへ』のイメージだった」と小苅米社長。「そのDNAを受け継いでいる。やはりジョイスだと言ってもらえる店でありたい」

 商品開発は「安心・安全」と「地産地消」が基本。岩手町の農家グループ・いきいき農場との高原野菜契約栽培など、地域との連携に力を入れる。食品トレーや牛乳パックの回収など環境活動にも熱心に取り組む。

 「北の地にあっても、キラリと光る企業にしたい」。小苅米社長には、目指す姿がはっきりと見えている。

【写真=「変化に対応できたことが今のジョイスをつくった」と語る小苅米秀樹社長】


学芸部門奨励賞 全国高総文祭日本音楽部門文科大臣賞 盛岡二高箏曲部

新作曲で挑戦 6度目の頂点

 8月、三重県鈴鹿市で行われた第33回全国高校総合文化祭の日本音楽部門で、6回目の文部科学大臣賞(1位相当)に輝いた。

 受賞曲目はオリジナルの「風雪の舞」(小山和彦作曲)。東北の冬を象徴する雪と、その雪を自在に運ぶ風をイメージした華麗な音の装飾−。リズムや声部の激しい変化を、2・3年部員25人の緊密なアンサンブルで見事に表現した。

 部員の大半は入学後初めて箏に触れる。内田芳純(かすみ)副部長、八戸彩香(あやか)副部長(3年)は「入学時を思うと感無量。7人と少ない3年生で2年生を引っ張るのに悩んだが、頑張ってきてよかった」と口をそろえた。

 箏曲家黒沢和雄・千賀子夫妻(盛岡市)の一貫指導。オリジナル曲は7曲目。現代作曲家への委嘱新曲は音楽的質は高い半面、審査員の評価が未知数で冒険でもある。千賀子さんは「委嘱曲で続けることへの迷いもよぎった」と打ち明けるが、内田菜月部長(3年)は「難しくても、自分たちだけのオリジナル曲は達成感が大きい」と胸を張る。

 リスクを恐れず質の高い音楽を目指す指導者の姿勢と、初心者から始めた部員たちの不断の努力が全国から目標とされる存在に押し上げた。

【写真=全国高総文祭日本音楽部門で文科大臣賞を受賞、通算14回目の優秀校東京公演で演奏する盛岡二高箏曲部=8月29日、東京・国立劇場】


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