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 第63回岩手日報文化賞

社会部門 震災で官民一体の後方支援 遠野市

全国のモデルケース

 東日本大震災発生直後から、全国の救援部隊や物資供給の拠点として被災地を支え続けている。かねてから大津波の発生を予測し、大規模災害時の「後方支援」体制を整えてきた。市民も積極的に参加し、ボランティアと共にきめ細やかなサポートを展開。官民一体となった「遠野モデル」は、災害救援のモデルケースとして全国から注目を集めている。

 3月11日、地震で全壊した市庁舎前で後方支援活動がスタートした。本田敏秋市長の指揮で迅速に市内の状況を確認し、自衛隊や警察、消防隊のために運動公園を開放。同12日未明には救援物資を積んだ車両を大槌町に派遣した。

 被災地に送ったおにぎりは14万個以上。物資供給や人的派遣のほか、被災地支援を行う自治体や研究機関にワークスペースを提供、仮設住宅建設や文化財復旧にも取り組むなど、物心両面の支援は多くの被災者を救った。

 遠野市は沿岸と内陸の交易拠点として栄え、沿岸部にも血縁者が多い。地盤が安定し、交通アクセスが良い地理的条件から、市は2007年、後方支援拠点構想を策定。国や県、友好都市、自衛隊、警察に後方支援の重要性を説明し、県や自衛隊と大規模防災訓練を実施するなど、万が一に備えてきた。

 民間の意識レベルも高く、さまざまな角度から、真心のこもった活動を展開する。災害ボランティアをまとめるNPO法人遠野まごころネットは3月末の設立以来、がれき撤去や住民の精神的ケア、交流場所の設置など、支援を繰り広げる。

 本田市長は「手探りの活動だったが、市民も市職員も心を一つに取り組んできた。これからも被災地に寄り添い、被災者の思いに応える支援を続ける」と決意を新たにする。

【写真=被災地に向かう前に、市庁舎前で整列する市民ボランティア。官民一体となった遠野市の後方支援活動は多くの被災者を救った=4月】


社会部門 天台寺名誉住職 瀬戸内寂聴さん(89)

平和説く「青空法話」

 1987年、旧浄法寺町(現二戸市浄法寺町)の八葉(はちよう)山天台寺第73世住職として晋山(しんざん)した。定期的に「青空法話」を続け、荒廃した古刹(こさつ)の復興、地域振興に尽力。東日本大震災発生後は、県内の被災地を回り、被災者を励ましている。

 1922(大正11)年徳島市生まれ、東京女子大卒。作家として活躍中の73年、平泉町の中尊寺で得度(とくど)し、仏門の道を歩み、天台寺住職に就任した。住職を退任した2005年以降も「青空法話」を続け、戦争や災害、信仰など幅広い話題を取り上げ、平和の尊さを説いている。

 同寺のシンボルとなっているアジサイは、京都市右京区の「寂庵」から株分けし、持ち込んだことが始まり。明治期の廃仏毀釈(きしゃく)(仏教排撃運動)や、戦後の霊木大量伐採事件など、一時荒れ放題になった寺復興への思いは全国に広がった。

 92年、旧浄法寺町の名誉町民第1号となり、二戸市と合併した翌年の07年には名誉市民に。「浄法寺は第二の故郷」と語る。

 3月11日の東日本大震災発生後は、岩手日報など新聞各紙に被災地に向けたお見舞いのメッセージを寄せたほか、6月には野田村を訪問。野田小では紙芝居の読み聞かせを行い、「みんなが元気に育つことが、街の再興の力になる」と被災児童を励ました。

 被災地の訪問は「中尊寺建立供養願文(くようがんもん)」に込められた平和思想にもつながる。「平泉」の世界遺産登録にあたっても、大きな力となった。

 作家活動では多数の著作、受賞歴があり、96年に「白道(びゃくどう)」で芸術選奨文部大臣賞。97年文化功労者に選ばれ、06年には文化勲章を受章している。

【写真=天台寺秋の例大祭で、被災者らを励ます瀬戸内寂聴さん=10月2日、二戸市浄法寺町】


学芸部門 いわて・きららアート協会初代会長 橋場 あやさん(79) 盛岡市玉山区

障害者アート育てる

 表現する側の美術家として、県内の知的障害者らの造形活動に長年かかわり、独特の魅力にあふれた作品を世に出す役割を担った。

 「私自身は種をまく人。始まりを作ったにすぎない。優れた目を持った人たちによって、岩手の障害者アートが育った。決して簡単なことではない」

 1997年に設立した「いわて知的障害者芸術協会(現いわて・きららアート協会)」の初代会長。当時、先駆的な取り組みをしていた関西の知的障害者の作品展を盛岡で見て、感動したのが立ち上げのきっかけという。

 「こういうものが岩手でどんどん作られたらいい」。そんな呼び掛けに応えて、福祉施設や行政の関係者、教員らとともに公募展を企画。「この方たち、すてきですよと、みなさんに認めてもらいたいということがあった。障害者の作るアートは低いものという認識の時代だったから」と振り返る。

 毎年開催する公募展「いわて・きららアート・コレクション」は14回を数え、多くの才能を見いだしてきた。その中から9人が昨年、パリで開かれた「アール・ブリュット・ジャポネ」展に出品。思いのままに表現した「アール・ブリュット」(仏語で「生(き)の芸術」の意味)の作品が「芸術の都」で高い評価を受け、長年苦労してきた家族や支援者らの喜びにもつながった。

 中学教員時代に障害児の学級を担当。見られることを意識せず、魅力的な作品を生み出す人々との出会いが現在につながる。学校現場を離れても、造形教室や福祉作業所、病院などで障害者らと表現活動に取り組み、精力的に発表を続ける。

 「作ること自体が楽しい。知的障害や精神疾患など条件はどうであろうと、ものつくりをするプロセスにおいては全く同等。造形活動を営むものとしての同志ですね」

【写真=「岩手には誠実で純粋な方々がいて、障害者のアートがすごく育った。注目されることをプラスにしていきたい」と語る橋場あやさん】


産業部門 さいとう製菓社長 斉藤 俊明さん(70) 大船渡市猪川町

2度の被災に負けず

 銘菓「かもめの玉子」の製造・販売に努め、本県を代表する土産物に育てた。津波で2度被災しながらも立ち上がり、地元の経済発展に尽力する。

 さいとう製菓としては2代目社長だが、大福やゆべしを作っていた「もち屋」から通算すると、3代目を自負。大福を自転車で売ってから学校に通う毎日だった。

 1960年県警入り。直後の5月、チリ地震津波が大船渡を襲った。菓子店も被災し、地元に戻って家業を継ぐことに。手探りの独学で、菓子作りの基本を体にたたき込んだ。閉店後に商品研究に明け暮れ、気がつくと朝になっていた。

 かもめの玉子は何度も失敗を重ねた末の苦労の結晶だ。チリ地震津波以前のカステラ饅頭(まんじゅう)を一新し、玉子の形にこだわった。苦労を重ねて機械化に成功。人気商品となり、生産量は1日30万個まで増えた。

 原料は可能な限り、県産品や東北産にこだわる。小麦は9割が県産。「ここで生まれ、育ててもらった古里を愛する気持ちが大事。全国にさまざまな菓子がある中で、原材料は地元にこだわりたい」と思いは熱い。

 郷土愛は本業以外にもあふれる。震災前から大船渡商工会議所、市観光物産協会、夏まつり運営などの活動を通して地域に貢献。東京タワーさんままつり開催を通して、東京都港区との交流が各方面に波及している。

 今回の震災では、自身も被災しながら、県内の避難所で25万個のかもめの玉子を配った。混乱期に食べた甘みは市民の語り草だ。本社は被災したが、4月には山手にあった工場を再開。「かもめは達者だぞ」と発信した。

 「かけがえのない古里を大切にしたい」。愛する郷土の復興のため、奔走する。

【写真=2度の津波を乗り越えた看板を前に、菓子製造を通じてさらなる地域貢献を誓う斉藤俊明さん=大船渡市赤崎町・さいとう製菓】


特別賞 サッカー女子日本代表 岩清水 梓選手(25) 滝沢村出身

W杯優勝の立役者に

 サッカー女子日本代表「なでしこジャパン」のディフェンダーとして第6回女子ワールドカップ(W杯)ドイツ大会(6〜7月)に全試合出場し、日本の初優勝に貢献した。

 162センチ、54キロと小柄ながら、体を張った守りが身上。統率力に優れ、組織力が鍵を握るなでしこジャパンの守備の要として体格に勝る外国選手に立ち向かった。W杯では予選リーグ、決勝トーナメント全試合に先発出場し、6試合を6失点に抑え初優勝の立役者になった。

 日本の国際ランクは4位(当時)。決勝トーナメントは各試合とも「なでしこ不利」の予想が圧倒的だったが、準々決勝で開催国ドイツを延長の末、1−0で破ると波に乗り、準決勝スウェーデンを3−1、そして決勝は国際ランク1位、優勝候補筆頭のアメリカを2−2、PK3−1で下して頂点に駆け上り、日本中を歓喜させた。

 大会が開幕したのは東日本大震災から約3カ月後。未曽有の大災害のショックが日本全体を覆う中、「あきらめない強さ」で難敵にもひるまず、堂々としたプレーは、被災者に感動と勇気を与えた。

 従来にも増して岩手県出身であることを強調し、自らのブログに掲げた言葉は「東北魂」。優勝決定直後に掲げた被災地へのメッセージ入りの日の丸は、国民の心を打った。

 今回の栄誉をたたえ、団体では初めての国民栄誉賞がチームに贈られた。出生地の滝沢村は名誉村民の称号を贈り、ほかにも岩手県民栄誉賞、東京都の都栄誉賞などに輝いている。

 現在は相模原市在住。日テレベレーザと10月にプロ契約を結んだ。岩手日報社は2008年、北京五輪ベスト4をたたえて岩手日報体育賞特別賞を贈っている。

【写真=米国を破って初優勝を果たし、東日本大震災の被災地に向けたメッセージを記した日の丸を手にする岩清水梓選手(中央)ら=7月17日、フランクフルト(共同)】


学芸部門奨励賞

冷静さ失わず頂点に

第35回全国高校総合文化祭将棋部門男子団体優勝 岩手中・高校囲碁将棋部

 岩手中・高校囲碁将棋部は8月に福島県郡山市で開かれた第35回全国高校総合文化祭の将棋部門(全国高校将棋選手権大会)の男子団体に出場。冷静沈着な試合運びを見せ、3年ぶり2度目の全国制覇を果たした。

 メンバーは大将に中川滉生選手(2年)、副将に桜井飛嘉(あすか)選手(1年)、先鋒(せんぽう)は小野内一八選手(2年)。3人とも県外出身だが、同校の手厚い指導体制に引かれて入部、棋力を伸ばしてきた。

 予選1〜4回戦は松山東高(愛媛)、真和高(熊本)、京都(みやこ)高(福岡)、星光学院高(大阪)を下して突破。決勝トーナメント1回戦は高田高(三重)、2回戦は山形東高(山形)に勝利し4強に進出した。

 準決勝の愛工大名電高(愛知)戦は3戦全勝。各自30分の持ち時間を使い切り、緊迫した局面が続いた。特に中川選手は256手もの持久戦を耐え抜き、プロ棋士もうなる粘りの白星だった。

 決勝は実力校の仙台二高(宮城)と対戦。速攻で小野内選手が1勝。中川選手は惜しくも敗れたが、初の全国舞台の桜井選手が信頼に応え快勝した。2年連続決勝で涙をのんでいただけに喜びはひとしお。高校将棋の頂点にのぼりつめた。

【写真=仲間を信じた「全員将棋」で全国制覇を果たした岩手中・高校囲碁将棋部の(左から)桜井飛嘉選手、中川滉生選手、小野内一八選手=8月5日、福島県郡山市】


(2011.10.24)

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