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〜第3回〜

6氏晴れやか 岩手日報随筆賞贈呈式


 岩手日報社主催の第3回「啄木・賢治のふるさと『岩手日報随筆賞』」の贈呈式は19日、盛岡市愛宕下の盛岡グランドホテルで行われた。

 受賞者6人と来賓、同賞の前身の岩手日報文学賞随筆賞を含む歴代最優秀賞受賞者ら約60人が出席した。

 東根千万億編集局長が選考経過を報告し、三浦宏社長が最優秀賞の盛岡市黒石野の会社役員野中康行さん(65)に、正賞のブロンズ像「エリカ」(故舟越保武氏制作)と賞状、賞金20万円を贈呈。

 優秀賞の盛岡市みたけのNPO法人理事井手厚子さん(55)、同市仙北の特別支援学校講師上柿早苗さん(43)、金ケ崎町西根の主婦佐藤勇子さん(64)の3人に賞状と賞金5万円、佳作の花巻市上根子の主婦稗貫イサさん(59)、盛岡市盛岡駅前北通の地方公務員松川章さん(50)に賞状と賞金3万円を贈った。

 三浦社長は「受賞を機に新しい目標を掲げて精進し、幅広いテーマに挑戦していただきたい」とあいさつ。

 箱崎安弘県教育委員長、阿部正樹IBC岩手放送社長、斎藤純選考委員長(作家、盛岡市)の祝辞に続き、受賞者を代表して野中さんが「書くことは孤独な作業だが、周囲に書く仲間がいることで書き続けてこられた。気持ちはプロのつもりで文章を磨いていきたい」と謝辞を述べた。

 今回の応募数は140編。予備選考を経て斎藤委員長、平谷美樹委員(作家、金ケ崎町)、千葉万美子委員(エッセイスト、一関市)が審査した。

【写真=第3回啄木・賢治のふるさと「岩手日報随筆賞」を受賞した前列右から優秀賞・上柿早苗さん、最優秀賞・野中康行さん、優秀賞・井手厚子さん、同・佐藤勇子さん。後列右から佳作・稗貫イサさん、同・松川章】

(2008.7.20)


19日贈呈式 第3回日報随筆賞


 岩手日報社主催の第3回「啄木・賢治のふるさと『岩手日報随筆賞』」の贈呈式は、19日午前11時から盛岡市愛宕下の盛岡グランドホテルで行われる。

 最優秀賞は、盛岡市、会社役員野中康行さん(65)の「リッチモンドの風」。正賞のブロンズ像「エリカ」(故舟越保武氏制作)と賞状、賞金20万円が贈られる。

 優秀賞は、盛岡市、NPO法人理事井手厚子さん(55)の「妹」、同市、特別支援学校講師上柿早苗さん(43)の「祈るとき」、金ケ崎町、主婦佐藤勇子さん(64)の「母の置土産(おきみやげ)」の3編。

 佳作は、花巻市、主婦稗貫イサさん(59)の「ほおずき」、盛岡市、地方公務員松川章さん(50)の「三毛猫物語」の2編。

 優秀賞に賞状と賞金5万円、佳作に賞状と賞金3万円が贈られる。

 岩手日報創刊130年の一昨年創設。3回目の今年は140編が寄せられ、予備選考を経て選考委員の作家斎藤純氏(委員長、盛岡市)、作家平谷美樹氏(金ケ崎町)、エッセイスト千葉万美子さん(一関市)が審査した。

(2008.7.19)


第3回岩手日報随筆賞決まる
−2008年−


  岩手日報社主催の第3回「啄木・賢治のふるさと『岩手日報随筆賞』」の入選者が決まりました。

 最優秀賞は、盛岡市、会社役員野中康行さん(65)の「リッチモンドの風」が選ばれました。優秀賞は、盛岡市、NPO法人理事井手厚子さん(55)の「妹」、同市、特別支援学校講師上柿早苗さん(43)の「祈るとき」、金ケ崎町、主婦佐藤勇子さん(64)の「母の置土産(おきみやげ)」の3編でした。

 佳作は、花巻市、主婦稗貫イサさん(59)の「ほおずき」、盛岡市、地方公務員松川章さん(50)の「三毛猫物語」でした。20歳未満の応募者が対象の奨励賞は該当作がありませんでした。

 贈呈式は、19日午前11時から盛岡市愛宕下の盛岡グランドホテルで行います。最優秀賞の野中さんに正賞のブロンズ像「エリカ」(故舟越保武氏制作)と賞状、賞金20万円、優秀賞の3人に賞状と賞金5万円、佳作の2人に賞状と賞金3万円が贈られます。

 今回の応募総数は140編(138人)。社内での予備選考を経た10編について選考委員の作家斎藤純氏(委員長、盛岡市)、作家平谷美樹氏(金ケ崎町)、エッセイスト千葉万美子さん(一関市)が審査しました。

(2008.7.9)


第3回啄木・賢治のふるさと「岩手日報随筆賞」
受賞者と作品紹介

 

 岩手日報社が一昨年創刊130年を記念して創設した「啄木・賢治のふるさと『岩手日報随筆賞』」は第3回の今年、昨年の126編を上回る140編の応募があった。予備選考を経た10編を、選考委員の作家斎藤純氏(委員長、盛岡市)、作家平谷美樹氏(金ケ崎町)、エッセイスト千葉万美子さん(一関市)が審査し、最優秀賞1編、優秀賞3編、佳作2編を選んだ。この中から最優秀賞、優秀賞の受賞者の横顔と作品を紹介する。

 《選評》 「読んでもらう」工夫を 斎藤選考委員長

 最優秀に輝いた野中康行さんは過去に2度優秀作品に選ばれている。私たちはプロ、アマを問わず書くことによってしか成長しない。書きつづけることで研鑽(けんさん)を積まれ、今回の受賞となった。ただ、『千の風になって』に寄りかかっていることが若干気になった。もう充分に筆力はあるのだから、きれいにまとめることから脱皮し、挑戦をしてほしい。

 優秀作品は高レベルで、最優秀作品と大きな差があるわけではない。しかし、構成の甘さなど、どれも似たような問題点が見受けられた。書きたいように書ける技術が身についたら、「読んでもらうにはどう書くか」を考えてほしい。よほど工夫しないかぎり、読者はそう簡単には読んでくれないものだ。

 佳作については議論した結果、激励あるいは応援といった意味合いで選出することにした。原稿用紙の使い方、改行やカッコの扱い方など初歩的な課題もある。いっそうの勉強を期待したい。

 候補作10編の中には、ふだん本を読んでいないのではないか、と疑問を抱かせるものもあった。本を読まずして書くことはできないはずだ。本こそがよき教科書であることを明記しておく。

 文学賞の選考とは実のところ、選考する側の我々が問われ、試される場である。今回から選考委員長をお引き受けしたが、いい勉強をさせていただいた。感謝申し上げたい。


最優秀賞 リッチモンドの風 野中 康行さん


 飛行機は不意に翼を傾けた。

 雲が回り、窓の光が傾く。かすむ地平線がせり上がり、切れ切れに流れる雲の下に茶色い地表が現れた。焦点が合うと、広大なトウモロコシ畑の中に、薄緑の煙る森、緑の牧草地、点在する白い家、それをつなぐ線を引いたような道が見えた。

 旋回を終えた50人乗りの小型ジェット機は、西の太陽に向かってしばらく進み、下降を始めた。エンジン音がオクターブ下がり、足元で主脚の出た鈍い音がした。機はデイトン空港に降りようとしていた。

 私たち「アーラム大学・ホストファミリー会」の4人は、ホームステイをした学生の卒業式に出るために、デトロイトから飛行機を乗り継いできた。

 大学のある町、リッチモンド(インディアナ州)はここから西に60キロ、オハイオ州との州境を越えるとすぐである。空港には迎えの車が来ているはずだ。

 飛行場から高速道路を西に進む。太陽が暗い地平線に沈もうとしていた。そこから車のライトがわき出て連なり、列は波打って向かってくる。まだ明るい空は地球ごと包みこむような広い空であった。

 明日は大学を表敬訪問して、夜は先生方と会食。3、4日目に、大学内の見学、歓迎パーテイなどの予定が組まれ、近郊も案内してくれるという。卒業式は5日目である。

 「ホームステイをやってみませんか」と、誘われたのは、盛岡に赴任した年(平成8年)のことだった。翌年の夏、女子大生の家族が1人増え、4カ月あまりを一緒に暮らした。帰ってすぐに、クリスマスカードが届いた。

 ホームステイは3年続いた。4年目も続けるつもりだったが、妻が体調を崩してそれを辞退した。翌年に妻は逝った。

 ホームステイを引き受けることはもうないだろう。そう思いながらも「会」のメンバーには残り、毎年来る学生の受け入れと盛岡での生活を手伝ってきた。

「リッチモンドはどんなところ」

 いつかは行ってみたいと問う妻に、3人の学生は同じように言っていた。

「何もないところです。でも、とてもいいところです」

「必ず行くね」

 妻は、いつもそう応えていた。

 気候は盛岡とほぼ同じで、広い畑の中にある古い町。私の知識はそんな程度だが、妻は、もっと多くの知識を得ていただろう。

 3日目。郊外をまわって、丘の上の旧家を訪ねた。西部開拓史時代の建物だが、その豪華さに圧倒され、ひと息つきに外に出た。芝生で遊んでいたリスが幹を駆け上がり、胸の黄色い鳥が木々の間を飛び交っていた。

 畑の向こうに林が見える。若緑、黄緑、抹茶色の木々が盛り上がってどこまでも続く。手前の畑に、トウモロコシの根元が刈り残され朽ちている。畑は左方にうねって広がり、空と接していた。まだ作業が始まっていない畑に、動くものはなにもない。

 畑の上を風が渡ってきた。

 少し冷たい風だが、そよぐ風でも、通り風でもない。乱れることも、巻くこともなく、頭上の木の葉を少し揺らすだけの流れる風だ。風は、空と地平線の間から、ここが拓(ひら)かれるずっと前、太古から吹きつづけているような力強い風であった。

 風に向かって立つと、詩のフレーズがうかんだ。

  私のお墓の前で泣  かないで/私はそ  こにはいないのだ  から 私は眠って  なんかいない/私  は千の風となって  渡ってゆく

 「千の風になって」の3行である。詩の原作者といわれるメアリー・フライは、私たちが降りた飛行場のある町、デイトンに生まれた。12歳までそこに住んでいる。きっと、彼女もこの風を感じて育った。その原体験があの詩を生んだに違いない。

 風は、遠い過去の記憶も運んできた。

 渡る風に、テーブルをはさんで話す妻の姿が、かすかに見えた。「必ず行くね」と話していた妻は先に来ている。そんな、なつかしさにも似た感覚が不思議であった。

 妻がリッチモンドで見たかった光景は、この光景ではなかったのか。感じたかったのは、この風ではなかったろうか。

 芝の斜面が式場だ。壇上の後ろに掲げられた50枚あまりの国旗が、木洩(も)れ日に映える。一人一人手渡される卒業証書に生徒は全身で喜びを表わし、歓声を誘う。式の最後に帽子が舞った。そのなかに盛岡で過ごした10人の学生もいた。

 昨日の卒業式と、あの風を記憶しよう。空港に向かう車の中で、私はそれを反芻(はんすう)していた。



 《横顔》  妻の記憶 詩に重ね

 「ああよかった、安心した―というのが率直な気持ち」と受賞の感慨を打ち明ける。

 過去2回はいずれも優秀賞。岩手芸術祭「県民文芸作品集」随筆部門選者なども務める。今回応募した仲間たちから「今度は野中さんでしょう」と言われてもいただけに、「これで『随筆を書いています』と胸を張れる」と喜ぶ。

 受賞作は、留学生の受け入れ家庭として米国大学の卒業式に出席、そこで妻の思い出をかみしめる内容だ。「大学周辺の広大な風景はとてもインパクトが強く、これを書こうと思った」

 現地で感じた「風の流れ」。在りし日の妻の記憶を運んできた。ホームステイを引き受け、留学生との交流を共にした妻は「いつか行ってみたい」と米国訪問を楽しみにしていた。しかし、願いかなわずこの世を去った。詩「千の風になって」を重ね、胸を打つ文章をつづった。

 随筆を本格的に始めたのは40代。東京勤務時代、社内の文学サークルと地域の随筆サークルで活動。この地域サークルで鍛えられた。「最初は褒めてくれたのに、2回目、3回目と顔を出すと『何を書いているの』『面白くも何ともない』なんて厳しい言葉を浴びせられてね」。そして、妻は最初の読者でもあった。「言い回しが分からない―とか批判された」と振り返る。

 最後の勤務地ともなった盛岡で保険代理店を開業。総勢6人。スタッフの1人は「お客さまに対するのと同じように従業員に接してくれる」と人柄を語る一方、「ただ、案内状や情報誌に書く文章には厳しく、ビシビシ添削される」と明かす。文章家ならではの一面だろう。

 念願の受賞に思いを新たにする。「次の目標を見つけ、書き続けたい」

 【のなか・やすゆき】 盛岡一高卒。大手保険会社に勤務し、定年退職後に有限会社の代理店を開業、代表取締役。盛岡市。65歳。紫波町出身。


優秀賞 井手 厚子さん


 シロツメクサの花が一面に咲く原っぱの中に、おかっぱ頭の幼女がいる。胸当ての付いた白いエプロンをつけて。

 幼女は甲高い声で歌う。

 「ジュジュジュ、ジューシー」と。少しおぼつかないガムのCMソング。何度も何度も繰り返す。

 「妹」と声に出してみると、鮮やかによみがえってくる原風景である。

 5才の子供を当分の間預かることになった、と母から聞かされたのは、私が小学5年生の時である。父親のいない子で、母親は何か商売をしていたようだ。生後間もない頃(ころ)から、あちらこちらと預けられてきたという。

 当時我が家は、台所と2間だけの小さな家に、家族5人が暮らしていた。暮らし向きも決して楽ではなかったはずだ。にもかかわらず、縁もゆかりもない子供を預かったのは、どんないきさつがあったのか、今では確かめる術(すべ)もない。ただ仲立ちをした人は、女の子のいる家庭にその子を預けたいと、3姉妹の我が家に白羽の矢を立てたものらしい。

 連れてこられた幼女は、まったく物怖(お)じしない子であった。来たその日から、当然のように家族をお母ちゃん、お姉ちゃんなどと呼んで、周りを驚かせたものだ。気がついたら、いつの間にか一緒に食卓を囲んでいた、そんな印象がある。

 妹となった幼女には、上目遣いで人の様子をうかがう癖があった。その目つきがいやだと、周りの大人たちはよく口にした。

 また、どうしようもなく強情を張って、家族を困惑させることもあった。

 そんなある時、業を煮やした母は「言うことを聞かないなら、ヒデちゃんのところに帰りなさい」と叱(しか)った。ヒデちゃんとは、我が家に来る直前まで、妹の世話をしていた女性のことである。それを聞いた妹は激しく泣き叫んだ。ヒデちゃんのところには、どうか帰さないでと懇願するのである。

 後々聞いた話によると、妹はそのヒデちゃんなる女性から、幼い子にとっては行き過ぎとも言えるような扱いを受けていたという。

 末っ子の私にとっては、妹ができたことは願ってもないことだった。どこへ行くにも、少し誇らしい気持ちで連れて歩いたものだ。

 細面で切れ長の目もとが似ていると言われ、実の姉妹によく間違えられたものである。

 近所にふくろうを飼っている家があった。大人の背丈ほどもある大きな鳥小屋の中で、いつも目を閉じたまま止まり木にじっとしていた。時折、ぎろりと目をむいて羽を広げる。そのしぐさが唐突で面白く、よく2人で飽きもせずに眺めたものだ。

 夜はいつも一緒に床に就いた。閉め切ったふすまの隙(すき)間から、灯(あか)りがわずかに漏れてくる。くぐもったようなテレビの音も低く聞こえる。

 妹はすり寄って来ては「お姉ちゃん、何かお話をして」と毎日のようにせがんだ。初めのうちは、昔々あるところに、とおなじみの昔話を聞かせた。

 そのうち話も底をついてくる。そこで、荒唐無稽(こうとうむけい)な作り話をして聞かせることにした。話の成り行きが怪しくなったあたりで「この続きは、また明日のお楽しみにー」と締める。

 妹はどんないい加減な話でも、うんうんとうなずきながら聞いていた。気分次第で話が長くなったり、短くなったりしても、決して不平を言わなかった。

 昼間は、こましゃくれた口調で私をなじったりもする憎らしい妹が、夜になるとしおらしくなるのが不思議であり、いじらしくもあった。

 共に暮らしたのはわずか10カ月余りである。

 その後、隣の県で母親と暮らすようになった妹は、一度だけ逢(あ)いに来てくれた。

 お姉ちゃんとは別れたくないと泣きじゃくる妹の声が、いつまでも耳にしがみつき、戸惑い続けた日々。あれから何年が経(た)ったのだろう。妹は中学生になっていた。

 相変わらずのやせっぽちで、着ていた紺の制服が大きく見えた。かつて、かしましく上下していた口を一文字に結び、伏し目がちで物憂げな少女になっていた。

 共有するたくさんの思い出を、いっぱいに広げてみたかったのに、もどかしいような時間だけが過ぎていく。

 いたたまれず、妹を近くのデパートに連れ出した。「何でも好きなものを買ってあげる」と、ありったけの小遣いを入れた財布を握りしめた。

 迷いに迷って妹が選んだものは、拍子抜けするほど小さな安物の鏡であった。

 「遠慮しなくてもいいよ」と言っても、妹は力なく頭を振り、ちらりと上目遣いに私を見た。その眼差(まなざ)しが心に痛かった。

 妹と逢ったのは、これが最後だった。



 《横顔》  点訳通じ言葉豊かに

 一面に咲くシロツメクサの中で、ガムのCMソングをたどたどしく歌う少女―。印象的な冒頭から読者を引き込む受賞作は、どんないきさつでか家に引き取られ、10カ月余だけ暮らした5歳の「妹」の思い出をつづる。

 「彼女とともに暮らしたことはかけがえのない思い出。何十年たった今でも目に浮かぶ情景をそのまま書き残したいと思った」

 その言葉通り、ラストの少女のまなざしは、鋭く読者の胸をも射る。

 2005年から本紙「ばん茶せん茶」などへ投稿。日報随筆賞への応募は2回目。「日中、細切れの時間に繰り返し文章を考え、寝る前の1時間弱を執筆に充てた。まだ入賞の実感がわきません」

 岩手点訳の会で点訳奉仕にも従事。「点訳を通してさまざまな言葉に出会った。車の両輪のように執筆と点訳を続けていきたい」と願う。

   ◇      ◇

 盛岡市。岩手点訳の会役員。55歳。奥州市水沢区出身。


優秀賞 祈るとき 上柿 早苗さん


 祈ってほしいと頼まれた。祈る? 何を?

「わたしを、です。今度わたしは日本語能力検定試験を受けます。その時、先生はわたしのことを思って、祈ってください」

 Mさんは、コロンビア人。岩手大学に留学している。工学部で灌漑(かんがい)設備について学びながら、日本語講座にも熱心に通っている。

 日本語講座は、留学生やその家族、ALTなどを対象に上田公民館で行われている。私はそのボランティア講師で、毎週各国の人達とおしゃべりするのを楽しみにしていた。

 アメリカから来たSさんは酒屋で、「安いジンをください」と言うつもりで「やさいじん」と言ってしまったそうだ。「野菜人」はいませんと、酒屋さんは答えたのだろうか。中国出身のWさんは、銭湯に行って驚いた。中国語で「湯」はスープのこと。「男湯」「女湯」とは何のことだ、と慌(あわ)てたという。

 さて、Mさんの受検である。

「わかりました。祈ります」

 さきほどから私の返事を待っているMさんの真剣な目の力に押され、私は約束してしまった。

 検定当日。祈ると言っても何をすればいいのだろう。とりあえずこの前の授業では何をやったか思い出してみる。身近なものを使って文を作る練習をした。歯ブラシは、歯をみがく時使うものです。鉛筆は、勉強をする時使うものです。じゃあスプーンは、と尋ねると、Mさんは、アイスクリームを食べる時使うものです、と答えた。甘い物に目がないMさんらしいねと笑ったのだった。
 一息つこうと、コーヒーを飲む。

「コーヒーは、祈る時飲むものです」

 ひとり言が出たりして、今ひとつ真剣になれない。これではいけないと、ふたたびMさんを思い出す。

 一緒にコーヒーを飲んだことがあった。砂糖とミルクをどっさり入れて、どろどろになったのをおいしそうに飲んでいたMさん。今度は思い出し笑いがこみあげてきた。全く、祈るどころではない。

 結局この日は儘(まま)ならぬままに一日を過ごしてしまった。その後、日本語講座はメンバーも入れ替わり、Mさんも帰国した。

 数年たち、私は立場を変え、小学校の講師となり、特別支援学級を担当していた。

 受け持ちのB君は、飛行機や鉄道など乗り物関係の知識が豊富で、国内外のニュースにもくわしい6年生の男の子。私は、朝一番のニュースや交通情報をB君から聞くのが日課になっていた。

 B君と私は一緒に1台のパソコンに向かって、カレンダーの作成にとりかかっている。

『11月6日 お見合いの日。昭和22年のこの日、東京の多摩川河畔で集団見合い』

『11月10日 トイレの日。いいトイレの語呂合わせ。日本トイレ協会が制定』

 カレンダーには、B君が調べた記念日情報が盛り込まれている。

「11月分、完成」

 さて、私とB君の間には、カレンダーを作るにあたりひとつ約束があった。それは、できあがったら6年教室に持って行くこと。B君は交流学習をしており、社会や理科、学校行事などは6年生の学級に入って参加していた。カレンダーを届けることは、直接人と向き合ってコミュニケーションをとることに苦手意識のあるB君にとっては大仕事だ。

 早速、リハーサルを始める。6年教室のドアをノックしてカレンダーを置いてくるまでの一連の動きを、繰り返しやってみる。

「もし、ドアが最初から開いていたらノックはどうしますか」

「先生がいなかったら……」

「休み時間で、みんなが席についていない時はどうしたらいい」

 B君が想定した事態について、シミュレーションを行い、一つひとつクリアしていく。そして、あとは行くばかりとなった。

 カレンダーを手にしたB君は、口元を引き締め、どこか一点を見据えている。やがてひとつ深呼吸をすると、教室を出て行った。

 B君の足音が遠ざかる。

 私はその場に立ちすくむ。どうしたことか身動き一つとることもできなかった。心が、ひたすらB君を追い求め、何も手につかない。

「そうか、これだ」

 突然わかった。これが祈る気持ちなんだと。

 さっきまで先生、先生と呼びかけてきたB君は、もはや私の手の届かないところにいる。一人で正念場に立つB君に、今、私ができることといったら、祈るだけ。目を閉じて、ただただ祈る。

 B君と重なって、Mさんの顔が浮かんできた。あの検定の日、Mさんに頼まれた、祈るという気持ちが、今なら自然にこみ上げてくるような気がした。

 祈りのさなか、なんだかコーヒーが飲みたくなってきた。



 《横顔》  執筆活動、大切な時間

 前回は佳作。作品を読んだある人から「自分の中では最優秀賞」と褒められた言葉を励みに本作品を仕上げ、優秀賞に結実した。

 受賞通知を受けてから、日本語講座での出会いがどんどんよみがえるという。作中のMさんからは、おじいさんが作ったコーヒー豆をもらった。

 「所変われば、おじいさんが作る物も変わるものだと新鮮に感じた。イギリス人のRさんからは『live and learn』という言葉を教わりました」

 「生きることは学ぶこと、経験の中から物事を知る、といった意味。私には、文章を書くことが『live and learn』。生活の中の大切な時間」と振り返る。

 「うれしさと同時に、優秀賞に値するものをこれからも書いていけるのか―。身の引き締まる思いです」

   ◇      ◇

 盛岡市。岩手大附属特別支援学校講師。43歳。花巻市出身。


優秀賞 母の置土産 佐藤 勇子さん


 「まんず、まんず、このしばれるどご、よぐおでんした。なんにもなござんすが、ゆっくりしてってくなんせ」

 凍(い)てつくような日だった。盛岡でのある茶会の席で、持て成す側の一人が馴染(なじ)みらしい客人に親しそうに話し掛けている。その言葉のおっとりしたやさしい響きに、懐かしさが込み上げ、ご年配の着物姿が美しいその方に思わず声を掛けていた。

 「盛岡弁でございますね。懐かしく聞かせていただきました。私の母が、すっかり同じ言葉の口調でしたから……」

 何年か振(ぶ)りに聞く、生粋の盛岡弁だった。一面識もない私に、突然、声を掛けられたその方はちょっと戸惑った様子で、「そでがんすか……」と言い、あとの言葉はなく黙ってしまった。

 年に数回ほど、郷里の盛岡に出向く。だが、時の流れがそうなってしまうのだろう。最近は耳にし、接することが少なくなってきた。

 盛岡弁でもとりわけ、母が遣う相手を敬う言葉が忘れられない。例えば、目上の人には話の語尾に「ござんすなっす」親しい人には「なっす」「なはん」とつけて話した。

 私はやさしい響きのある「なはん」が好きだった。友だちと喧嘩(けんか)し、母に叱られても「おめはんは、悪ぐながったのすか。直(す)ぐ、仲直りをするんだがらなはん」とやさしく言われると、心から反省したものだ。

 また、母は出勤時の父に、丁寧に頭を垂れ「行っておでんせ」と見送り、帰宅の際は「おげれんせ、疲れやんしたえん」と同様にして出迎えた。私たち姉妹も結婚すると、母のように玄関先で三つ指こそつかなかったが、夫に対し、自然にその習慣が身についていた。

 所変われば、言葉のニュアンスも違ってくる。私が県南の金ケ崎町に嫁いできて間もなく、土地の習わしであった近所の挨拶(あいさつ)回りをした。義母が案内してくれ、他人の屋敷地内に入って行く時、その家の方に顔を向け、こう声を掛けた。

 「ごめんなんえ、お通(ど)しなすってくなんや」

 わが地区は江戸時代からの広い地割が残っており、小路は左折右折の曲り角が多い。まして、当時は道幅も狭く、舗装もされていなかった。そこで、正道を通っていては時間ばかりかかり、挨拶の声掛けだけは必ずして、お互いに敷地内の通行を許し合っていた。

 何軒目かの家で、茶の間から5歳ぐらいの男の子が主(あるじ)より先に飛び出し、にこっとして、「おへんなんえ」と、その表情の愛らしさに私の顔も綻(ほころ)び、馴(な)れない土地での緊張感が解(ほぐ)れていった。

 家の中に案内され、堅くなって正座をしている私に主が、「お平(だい)らになさってくなんえ」と足を崩すように、勧めてくれた。

 「……なんえ」は「……なはん」に似たやさしい響きであった。方言もこう丁寧に使われると品があり、温かく包み込んで一層親しみが湧(わ)いてくる。とは言っても、若い時は流(りゅう)暢(ちょう)な都会言葉に憧(あこが)れた。

 私が20歳頃のことである。東京に就職した友人の所へ遊びに行くと、彼女は会社の同僚も誘い、スケート場へ行った。私は盛岡言葉を出すまい、と東京弁に必死だった。

 盛岡の冬は凍(しば)れ、高松の池も凍る。自然、スケートがうまくなる。スケート靴を履いた私は、使い慣れない東京弁の窮屈さから解放され、人ごみの中を得意になって滑っていた。

 不意に背後から体当たりされ、転倒してしまった。その途端、飛び出してきた言葉は、「あっしゃ、やんたぁあ!」。

 甲高い私の声だけが、氷上を滑っていく。はっと我に返り、今更「あぁら、いやだわ」とは言えない。恥ずかしさに身が縮み、頬(ほお)が火照(ほて)ってくるばかりであった。

 独身で自由奔放に過ごしていた最中、母が重い病に倒れ、回復は捗々(はかばか)しくなかった。母は、せめて八幡様のお祭りには窓際に立って山車を見るまでになりたい、と自分を励ましていた。が、感ずるところがあったのだろうか、病床からすがりつくような目で、回診してくれる先生に言った。

 「わたしは、もうだめでござんすか」

 先生は無言のまま微笑し、聴診器を当てていた。返事を待ち切れぬ母は、

 「先生もつろうござんすなっす。だめな者さ、だめだとは言われねござんすものなっす」

 私は母に背を向け、溢(あふ)れる涙を押さえた。自分を全て犠牲にし家族に尽くしてきた母の、その労をねぎらいたくて、温泉行きを計画していた。母は喜んでくれた。なのに、倒れてしまい、母はしみじみと言った。

 「おめはんと約束していた温泉さ、とうとう行げなぐなったなはん」

 盛岡弁で一生を終えた母。深く脳裏に刻み込まれている「なはん」をそっと呟(つぶや)くと、心が温もり、なはんは母の置(おき)土産である。



 《横顔》  題材温め最後の挑戦

 前身の岩手日報文学賞随筆賞で2001年佳作(2位相当)入賞以来、毎年挑戦し続けてきた。「日報随筆賞はあこがれだった。書く者にとって一つの目標でありハードルの高さを実感します」

 とはいえ岩手芸術祭「県民文芸作品集」随筆部門芸術祭賞など受賞歴は華やかで、筆力は十分。「今回が最後」と心に決めて臨んだ本作は、数年前から熟成させてきた題材で、何度も推敲(すいこう)を重ねた。

 「自分で勝手に予想していた日に内定通知がなかったのであきらめていた分、喜びを大きく感じている」

 美しい盛岡弁を話した母は、結婚前に亡くなった。「妻、母、嫁として見せた母の背は、結婚後の私の道しるべだった。亡くなった年齢を越えた今、まだまだ足元にも及びません」

 今後は「これまでの作品を一冊にまとめたい」と随筆集出版に意欲をみせる。

   ◇      ◇

 金ケ崎町。主婦。64歳。盛岡市出身。


(2008.7.9朝刊掲載)

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