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第20回岩手日報文学賞(平成17年)
 6氏、晴れの受賞 岩手日報文学賞
岩手日報文学賞を受賞して<寄稿へ>

 岩手日報社主催の第20回岩手日報文学賞(啄木賞、賢治賞、随筆賞)の贈呈式は、21日盛岡市の同社5階ホールで行われた。啄木賞は兵庫県西宮市、甲南大文学部教授木股知史氏(53)の「和歌文学大系77 一握の砂/黄昏に/収穫」(明治書院刊)中の「一握の砂」、賢治賞は東山町、石と賢治のミュージアム館長伊藤良治氏(76)の「宮澤賢治と東北砕石工場の人々」(国文社刊)に、随筆賞は釜石市、主婦佐々木真理子さん(54)の「王様の枝豆」に贈られた。 

 木股、伊藤両氏、佐々木さん、随筆賞佳作の北上市、太田代公さん(75)、盛岡市、主婦晴山公子さん(64)、北上市、会社員鈴木富美子さん(55)と啄木賞審査委員長の遊座昭吾国際啄木学会理事、賢治賞同・斎藤文一新潟大名誉教授、岩手日報社の村田源一朗会長、三浦宏社長ら約70人が参加した。

 宮沢徳雄常務取締役編集局長が各賞の選考経過を報告。三浦社長が木股、伊藤両氏に正賞のブロンズ像「エリカ」(彫刻家・故舟越保武氏制作)と賞金50万円、随筆賞の佐々木さんに「エリカ」と賞金10万円、佳作の3人に賞金5万円を贈った。

 三浦社長は「岩手日報文学賞は今年で20回を迎えたが、啄木・賢治の研究成果を広く内外に発信し、県内の文芸振興に寄与してきたと自負しており、それも県民の支援のたまもの。受賞者には今後の研究・執筆のさらなる深まりを期待する」と6人の受賞者をたたえた。阿部正樹IBC岩手放送専務が祝辞を述べ、木股、伊藤両氏、佐々木さんが謝辞を述べた。

 謙虚に研究進めたい 木股知史氏 評価いただいた「一握の砂」の注釈は、本文と先行研究があってこその成果。受賞を励みに、今後も謙虚な気持ちで研究を進めたい。

 賢治の晩年学び直す 伊藤良治氏 私だけでなく、東山町にいただいた賞だと思う。受賞をきっかけに、町民全体で賢治晩年の生き方を学び直したい。

 父が書かせてくれた 佐々木真理子さん テーマにもなった父が書かせてくれた作品。あこがれの「エリカ像」と賞状を持って父の墓参りをし、褒めてもらいたい。

【写真=岩手日報文学賞受賞。前列右から啄木賞・木股知史氏、賢治賞・伊藤良治氏、随筆賞・佐々木真理子さん、後列右から随筆賞佳作の太田代公さん、晴山公子さん、鈴木富美子さん】

(2005.7.22)



 賢治と啄木に新たな視点 文学賞講演

 第20回岩手日報文学賞受賞記念講演会は21日、盛岡市の岩手日報社で開かれた。啄木賞を受賞した甲南大文学部教授・木股知史氏(53)と、賢治賞を受賞した石と賢治のミュージアム館長・伊藤良治氏(76)の2人が、約50人の聴衆を前に研究の一端を紹介した。

 木股氏は「注釈の可能性について」と題して講演。石川啄木の歌集「一握の砂」を注釈した狙いについて「歌集が作られた当時の視線を踏まえながら、言葉の意味をより正確にとらえようとした」と語った。

 同歌集の特徴として、短歌を制作年代ごとに分ける編年体ではなく、物語を作るような並べ替えが行われていると指摘。理由を「歌風の違う作品を読者に納得して受け取ってもらうためか、小説家として挫折した啄木が歌集の中で小説を書きたかったのでは」と推察。注釈を通して歌集の新たな一面を紹介した。

 伊藤氏は「本書出版に懸けた私のねがい」と題して講演。晩年の約5年間、技師として東山町とかかわった宮沢賢治と勤務先の東北砕石工場が誤解や偏見を持って受け取られていることへの危惧(きぐ)が、受賞作執筆を後押ししたと話した。

 「工場でひたむきに生きた『技師賢治』を検証しない限り、賢治の神髄には迫れない」と強調。「受賞を力として、東山町に技師時代の賢治を見直すよう働きかけていきたい」と語った。

【写真=岩手日報文学賞記念講演会で研究成果について話す啄木賞受賞者・木股知史氏】

(2005.7.22)



 受賞者決まる 岩手日報文学賞

啄木賞

木股 知史氏(兵庫県)

賢治賞

伊藤 良治氏(東山町)

随筆賞

佐々木 真理子さん(釜石市)

 岩手日報社主催の第20回岩手日報文学賞(啄木賞、賢治賞、随筆賞)の受賞者が5日、決まりました。啄木賞は兵庫県西宮市、甲南大文学部教授木股知史(さとし)氏(53)の「和歌文学大系77 一握の砂/黄昏に/収穫」(明治書院刊)の中の「一握の砂」、賢治賞は東山町、石と賢治のミュージアム館長伊藤良治氏(75)の「宮澤賢治と東北砕石工場の人々」(国文社刊)が選ばれました。随筆賞は釜石市、主婦佐々木真理子さん(54)の「王様の枝豆」と決まりました。

 啄木賞の「和歌文学大系77」中の「一握の砂」は、歌集「一握の砂」の厳密な校訂や各短歌への精細な脚注・補注、総合的な評価を提示する解説をそれぞれ見事に構成し、近代短歌を代表する歌集たるゆえんを解明した研究です。

 賢治賞の「宮澤賢治と東北砕石工場の人々」は、賢治晩年の「雨ニモマケズ」手帳につながる最も緊迫し、しかし調査、研究が十分になされなかった同工場勤務時代について、膨大な資料や証言を基に集大成し、賢治研究史上、画期的な成果を示しました。

 随筆賞の「王様の枝豆」は、大病で入院し、食事も進まない父親と、看病する筆者とのやりとりを描いた作品で、父親の好物の枝豆を少しでも長く食べさせようとする筆者の愛情が確かな筆致で描かれています。

 随筆賞の佳作は太田代公(こう)さん(75)=北上市=の「守護神」、晴山公子さん(64)=盛岡市=の「父の手引き」、鈴木富美子さん(55)=北上市=の「ボス」の3編が選ばれました。

◇      ◇      ◇ 

 贈呈式は21日午前11時から岩手日報社で行い、啄木賞の木股氏と賢治賞の伊藤氏にそれぞれ正賞のブロンズ像「エリカ」(彫刻家・故舟越保武氏制作)と賞金50万円、随筆賞の佐々木さんに「エリカ」と賞金10万円、随筆賞佳作3人に賞金5万円が贈られます。

 木股、伊藤両氏の受賞記念講演会は21日午後4時半から岩手日報社5階ホールで行います。入場無料。


受賞者の横顔
 
啄木賞
木股 知史氏 
「和歌文学大系77」中の「一握の砂」

 ち密な分析、注釈に光

受賞の知らせを聞いて「さらに頑張らねばと気持ちが引き締まった」と話す木股知史さん

 石川啄木の歌集「一握の砂」に収められた551首を、丁寧に分析し、短歌同士の立体的なつながりを明らかにすることで同歌集の傑作ぶりを示した。「注釈も研究の一つだと認めてもらえた」と受賞を喜ぶ。

 文学に関心を抱いたのは中学時代。自宅に本が少なかったため、貸本屋によく通った。「お金が無かった分、借りた本はしっかり読んだ」という。最初は漫画や推理小説を読んでいたが、高校から「きびきびとして発想が面白い」と、啄木をはじめとした明治期の文学の魅力に目覚める。

 近代短歌研究の伝統があった立命館大に進学したものの、当時は大学紛争で大学の機能がまひしていた。「せっかく大学に来たのに、勉強していない」と感じ、アルバイトの傍ら膨大な数の本を読んだ。「当時の読書は今でも自分の基礎になっている」と振り返る。

 紛争が落ち着き、ようやく研究を始められたのは大学3年の時。同大には上田博さん(元国際啄木学会会長)ら優秀な先輩がいた。「良い先生もいて、近代文学にのめり込んでいった」と話す。

 研究は、啄木だけにとどまらない。文学者という「点」でなく、啄木、与謝野晶子、吉井勇らを生んだ独創的な明治期の文学という「面」に関心を寄せるためだ。

 「一握の砂」の注釈に取り組み始めたのは、2002年。近藤典彦さん(国際啄木学会会長)らによる先行研究の成熟もあって、精密な研究が可能になった。推測も大胆に取り入れ、一義的でない解説を心掛けた。

 受賞作の執筆で注釈、そして共同研究の面白さも再認識したという。「今後は啄木の小説作品についても考察してみたい」と、表現史の中の啄木研究にさらなる意欲を燃やしている。

 きまた・さとし 立命館大大学院博士課程単位取得満期退学。主著に「石川啄木・1909年」(冨岡書房)、「吉本ばななイエローページ」(荒地出版社)。甲南大文学部日本語日本文学科教授。兵庫県西宮市。53歳。同県尼崎市出身。


賢治賞
伊藤 良治氏
「宮澤賢治と東北砕石工場の人々」

 東山から新たな視点

受賞作を手に「科学者としての賢治に多くの人が関心を持つきっかけになれば」と話す伊藤良治さん

 受賞作は、1929(昭和4)年から5年間、東山町の旧東北砕石工場運営に技師として携わった宮沢賢治と工場のかかわりを描いた。50年来抱える「賢治ゆかりの東山から賢治を発信したい」との思いが凝縮されている。

 同町出身で獣医だった父の任地・北朝鮮に生まれた。父は召集されフィリピンで戦死。45年に太平洋戦争が終わると、翌年の引き揚げまでまき割りなどの強制労働に従事した経験を持つ。

 帰国後、一関一高に編入するが、長男として一家を支えるため中退、通信教育を受け中学教師に。同僚で、同工場主だった鈴木東蔵さんの息子實さんを通じ賢治を知る。

 賢治への思いを深めたのは、東山町に48(昭和23)年に建立された「まづもろともにかがやく宇宙の微塵となりて無方の空にちらばらう」という詩碑だった。

 第二次世界大戦の痛手から立ち直る村おこしの指標としての設置だったが、「町民の誰かが説明できねば、何のために詩碑があるのか分からない」。自分なりの賢治像解釈の必要を感じ、以来勉強を積んできた。

 受賞作は、退職した90年から書きためた初の著作。執筆の契機は「そろそろ“社会的な遺書”を書く時」と感じたため。技師時代の賢治に対する評価が低いことへの疑問と、「科学者・賢治を東山から描きたい」との信念から題材が決まった。

 「歴史はどの方向から見たかで印象が違う。東山から見た賢治を示すことができた」と話す。鈴木實さんら賢治研究者、妻千代三さんの協力が完成を後押しした。「良い巡り合いがあったからこそ道が開けた」と感謝を込めた。

 いとう・りょうじ 慶応大経済学部(通信教育)卒。甲子中、大東中などに勤務。90年東山中校長で定年退職。石と賢治のミュージアム館長。論文に「東北砕石工場技師宮沢賢治」(宮沢賢治学会イーハトーブセンター地方セミナー2003年発刊の「かがやく宇宙の微塵」所収)。東山町。75歳。北朝鮮生まれ。


随筆賞
佐々木 真理子さん
「王様の枝豆」

 父親の「奇跡」つづる

「釜石・大槌を題材にした作品で、地域の素晴らしさを伝えたい」と語る佐々木真理子さん

 食道がんと診断された父の川村真一さんに好物の枝豆を届け続け、3カ月後にがんがすっかり消えるという「奇跡」をつづった。

 「奇跡」から5年後、真一さんは老衰で亡くなった。ショックとむなしさに心が覆われ、「構成もできていたが、1行も書くことができなかった」と振り返る。

 同じころ夫の茂さん(54)が転勤となり、盛岡市から釜石市へ一緒に移り住んだ。「釜石や大槌の美しい自然に触れるうちに徐々に気力がわき、今年の春、2年ぶりにワープロに向かい、一気に仕上げた」という。

 真一さんは、佐々木さんが新聞や情報紙に投稿した文章すべてに喜んで目を通していた。しかし、受賞作は唯一、真一さんの目に触れることのない作品となった。

 文学青年だった真一さん譲りの、自他共に認める「活字中毒」。20代のころは、図書館で2日おきに10冊ずつ借り、辞書や専門書以外はすべて読破したことも。「最近は引かれる小説がなくなってきたので自分でも書いてみたい」と執筆に意欲を見せる。

 ラグビーや格闘技の大ファンという一面も。釜石シーウェイブスRFCの試合に茂さんと応援に駆けつけ、地元ファンとともに声援を送る。

 初めて釜石を訪れたとき、最初に目に入ったのは釜石鉱山跡だった。生まれ育った松尾鉱山と重なり懐かしさを感じた。

 「地元の人が郷土の良さに気づいていないことが多い。いつかは釜石、大槌の自然や人を題材にして書きたい」ともう一つの「故郷」に思いを寄せる。

 ささき・まりこ 獨協大卒。釜石市。主婦。54歳。松尾村出身。

 

随筆賞・佳作
「守護神」 太田代 公さん
北上市。75歳。江刺市出身。
 小さいころから悩み、恨みもした顔のあざを、長い年月を経て守護神と思うようになるまでの心の変遷を描いた。
 応募は3回目。「過去2回は予選すら通らなかった。文章表現ばかりにとらわれ、心が書けていなかった」と振り返る。
 しかし、「障害で悩んでいる人の応援歌にでもなれば」と心を決めたとき、「迷わず、ためらわず書く素直な自分に驚いた」という。
 文章執筆は、「頭の体操になるから」と軽い気持ちで始めた。本紙「ばん茶せん茶」に採用された際、「応援の多さに驚き、うれしく、それが書くことへの大きな励ましになった」といい、今後も書き続けるつもりだ。
 入選は「高齢者だからといってあきらめの人生は過ごしたくないと思っている私への何よりの応援」とうれしそう。
「父の手引き」 晴山公子さん
盛岡市。64歳。同市出身。
 目の不自由な父親の人柄や、その父親を支える筆者と家族の心情を情感豊かにつづった。
 「父の手引きをしていたつもりが、実は父に人生の手引きをしてもらっていた」との思いがあり、父親の3回忌に当たり、心に秘めていた思い出をつづった。
 「暗唱するほど読み返し、何度も推敲(すいこう)を重ねたが、それでも不十分だった」という。随筆賞に初応募での入選に「思ってもいなかった。今回の評価は父に対してのもの」と素直に喜ぶ。
 「六十路の手習いに」と作文を始め、本紙「花時計」「ばん茶せん茶」欄にも投稿している。入選の知らせを受けたのは誕生日。「最高の贈り物」と笑顔を見せた。「きらめくことはもうないと思っていた矢先の朗報。これからも書き続けたい」と意欲を燃やす。
「ボス」 鈴木富美子さん
北上市。会社員。55歳。大槌町出身。
 定年後の仕事を辞めた夫に代わって勤め始めた筆者と、家事に励む夫の日常を軽妙な筆致で描いた。
 随筆賞にはこれまで4回応募。うち最終選考に2回残ったが、入選は今回が初めて。「『花時計』『ばん茶せん茶』には何度か投稿しているが、大きな文学賞での受賞は初めて」とうれしそう。
 「笑いの中からの題材だったので書くことが楽しく、仕事の疲れも忘れていた」と1週間で仕上げた。
 20代のころから毎日の暮らしの中でふと心にとまった言葉や出来事を書き始めた。「子育ての傍ら、読書や書くことに夢中で図書館通いをしていた日々が思い出される」と懐かしそう。
 「自己流の書き方を改めなければ」と文章教室に通い、これからも書き続けていく。
   
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