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第19回岩手日報文学賞(平成16年)
 6氏栄えある受賞 岩手日報文学賞
岩手日報文学賞を受賞して<寄稿へ>

 岩手日報社主催の第19回岩手日報文学賞(啄木賞、賢治賞、随筆賞)の贈呈式は21日、盛岡市の岩手日報社5階ホールで行われた。啄木賞は盛岡市、岩手大教育学部教授望月善次(よしつぐ)氏(62)の「啄木短歌の読み方−歌集外短歌評釈千首とともに」(信山社)、賢治賞は横浜市、毎日新聞社学芸部専門編集委員梅津時比古(ときひこ)氏(56)の「《セロ弾きのゴーシュ》の音楽論−音楽の近代主義を超えて」(東京書籍)に、随筆賞は平泉町、表具師小賀坂(こがさか)勝美(かつみ)さん(52)の「職人への道」に贈られた。

 望月、梅津両氏、小賀坂さん、随筆賞佳作の水沢市、県立学校事務職員神田由美子さん(52)、滝沢村、大学非常勤講師吉野重雄氏(68)、大迫町、介護支援専門員平沢裕子さん(61)、啄木賞審査員長の遊座昭吾国際啄木学会理事、賢治賞同・斎藤文一新潟大名誉教授、随筆賞同・作家三好京三氏、岩手日報社の村田源一朗会長、三浦宏社長ら約70人が出席した。

 宮沢徳雄常務取締役編集局長が各賞の選考経過を報告。三浦社長が望月、梅津両氏に正賞のブロンズ像「エリカ」(彫刻家・故舟越保武氏制作)と賞金50万円、小賀坂さんに「エリカ」と賞金10万円、佳作の3人に賞状と賞金5万円を贈った。

 三浦社長は「啄木賞・賢治賞の受賞者には、それぞれの立場で研究成果を発揮して、特に若い世代の関心を高めることを願う。随筆賞と佳作受賞者は、積極的な執筆で本県の文芸を発展させてほしい」と6人の受賞者をたたえた。

 佐藤勝県教育長、小西隆昭IBC岩手放送社長らが祝辞を述べ、望月、梅津両氏、小賀坂さんが謝辞を述べた。

 啄木を若い世代に 望月善次氏 啄木作品の恩恵の表れである啄木賞を受賞でき、光栄に思う。啄木を若い世代に伝えるため、努力していきたい。

 岩手での評価幸せ 梅津時比古氏 自分にとっての聖域である、賢治の生きた岩手から賞を受けることができ幸せ。関係者と賢治ファンに感謝したい。

 日報投稿欄に感謝 小賀坂勝美さん 自分を育ててくれた、岩手日報の投稿欄に感謝したい。表具も文章もまだ駆け出し。さらに頑張っていきたい。

【写真=前列右から啄木賞・望月善次氏、賢治賞・梅津時比古氏、随筆賞・小賀坂勝美さん。後列右から随筆賞佳作の神田由美子さん、吉野重雄氏、平沢裕子さん】



〜 受賞者決まる〜
啄木賞

望月 善次氏(盛岡市)

賢治賞

梅津 時比古氏(横浜市)

随筆賞

小賀坂 勝美さん(平泉町)

 岩手日報社主催の第19回岩手日報文学賞(啄木賞、賢治賞、随筆賞)の受賞者が決まりました。啄木賞は、盛岡市、岩手大教育学部教授望月善次氏(62)の「啄木短歌の読み方−歌集外短歌評釈一千首とともに」(信山社)、賢治賞は、横浜市、毎日新聞社学芸部専門編集委員梅津時比古氏(56)の「≪セロ弾きのゴーシュ≫の音楽論−音楽の近代主義を超えて」(東京書籍)が選ばれました。随筆賞は平泉町、表具師小賀坂勝美さん(51)の「職人への道」と決まりました。

 啄木賞の「啄木短歌の読み方」は、啄木短歌の特質を理論的に考察した第1部と、その理論に基づいて歌集外短歌を評釈した第2部で構成し、前著と合わせ1000首の歌集外短歌を評釈するというこれまで類を見ない研究の成果が示されています。

 賢治賞の「≪セロ弾きのゴーシュ≫の音楽論」は、ゴーシュの楽器、テクニック、音程について独創的な見解を示し、この童話が現代に対する明確な批判を含むと指摘し、近代主義を超えた来るべき演奏の在り方について示唆しました。

 随筆賞の「職人への道」は、表具教室の受講をきっかけに表具師としての修業を始めた筆者が、表具が文化を受け継ぐ器であると気づいて職人の道に誇りを持つようになる過程を、中尊寺経への思いも込めて確かな筆致で描いた作品です。

◇      ◇      ◇ 

 贈呈式は21日午前11時から岩手日報社で行い、望月氏と梅津氏に正賞のブロンズ像「エリカ」(彫刻家・故舟越保武氏制作)と賞金50万円、随筆賞の小賀坂さんには「エリカ」と賞金10万円が贈られます。

 随筆賞の佳作には、神田由美子さん(水沢市)の「車」、吉野重雄氏(滝沢村)の「妻と私の6月15日」、平沢裕子さん(大迫町)の「ギターとスパティフィラム」の3編が選ばれ、賞金5万円が贈られます。

 望月、梅津両氏の受賞記念講演会は21日午後5時から岩手日報社5階ホールで行います。入場無料。


受賞者の横顔
啄木賞
望月 善次氏 
啄木短歌の読み方−歌集外短歌評釈一千首とともに

 歌作経験生かし読解

「国立大独立法人化に対する思いの一表現として読んでもらえたら」と話す望月善次さん

 「啄木ゆかりの岩手日報から文学賞を受けることができ、光栄に思う。賞に恥じないよう、一生懸命研究に取り組みたい」と、笑顔の中にさらなる決意を見せる。

 短歌に興味を持ったのは大学時代。専攻を歴史学から国文学に転向するほど、歌作に熱中した。1979年、本県に移り住んだのを機に、以前から興味のあった啄木研究を本格化した。

 啄木の歌集「一握の砂」「悲しき玩具」に収録されなかった短歌は4000首余りといわれる。受賞作と昨年の前著で、そのうち1000首を評釈、啄木研究の新分野を開拓した。検証資料の豊富さと、自らの歌作経験を生かした読解が高く評価された。

 労作の影には、研究者ゆえの苦悩があった。ここ10数年、岩手大教育学部長など各種教育機関の長を務め、管理職としての事務に追われた。今年4月の国立大独立法人化への準備も追い打ちをかけた。「研究に専念できない日々」が続いた。

 「研究にしがみつかなければ、流されてしまう」と痛感し、未踏の分野であった歌集外短歌の分析に力を入れた。膨大な短歌を読解する作業も、苦にならなかった。「啄木が、研究者としての立場に踏みとどまらせてくれた」と感謝する。

 歌集外短歌の評釈は現在も進行中。主要な作品はほぼ網羅したという。「全短歌を評釈し、検索に便利なように体系化したい」と壮大な計画に思いをはせる。

 盛岡支部長を務める国際啄木学会は今年、韓国で大会を開く。啄木研究も国際化が進んでいる。「多様な方法論を展開し、若い人に道を開きたい」と、夢は尽きない。

 もちづき・よしつぐ 東京教育大大学院修了。岩手大教授。国際啄木学会副会長・盛岡支部長。主著に「(三木与志夫歌集)評伝岡井隆」(不識書院)「啄木短歌の方法」(ジロー印刷企画)。盛岡市。62歳。山梨県甲府市生まれ。 


賢治賞
梅津 時比古氏
≪セロ弾きのゴーシュ≫の音楽論−音楽の近代主義を超えて

 「究極の音楽家」検証

「賢治は音楽を心から愛した人。自分との共通点を感じる」と話す梅津時比古さん

 ゴーシュは理想の音楽家なのか。その問いを起点に、童話「セロ弾きのゴーシュ」の世界を解明した同書で昨年度、芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。2冠となる賢治賞受賞に「音楽評論としてだけでなく、文学論としても評価されたことがうれしい」と笑顔をみせる。

 蓄音機から離れない子だったという少年時代。バイオリンとピアノを弾き、音楽家を夢見たが、後にバイオリニストになった姉の才能に圧倒された。職業として意識したのは音楽と、やはり愛好する文学、哲学を両立できる学芸記者だった。

 毎日新聞社入社後、社会部などを経て学芸部へ。以来20年余り、週に3回は演奏会に出かけ、ドイツ留学も経験。音楽担当として精進を重ねてきた。充実期にあった96年、賢治生誕100年にあたり、音楽誌にゴーシュ論を書く機会があった。

 当時は序章にとどまっていたそのテーマを再考するきっかけは、2002年。新聞連載の単行本化後、出版担当者に次回作の構想を聞かれた。浮かんだのは、一般的な解釈に違和感があったという、ゴーシュ像再検証への思いだった。

 「究極の音楽家」とも評されるゴーシュの世界を、楽器、技法、歴史など多方面から丹念に検証する。音楽評論の豊富な経験と知識をもってしても、容易ではなかった。

 しかし「実証があってこそ想像が力を持つ」と信じ、考察を進めた。執筆で感じたのは「物語に、どんなに読み込んでも壊れない、構造的な強さがある」こと。賢治の力量を再認識したという。「賢治賞は新たな出発点。音楽と文学評論を続ける上での自信となった」と受賞に感謝した。

 うめづ・ときひこ 早稲田大第一文学部西洋哲学科卒。毎日新聞学芸部専門編集委員。主著に「フェルメールの音」(東京書籍)「耳の中の地図」(音楽之友社)「音と言葉のソナタ」(同)。横浜市。56歳。鎌倉市生まれ。


随筆賞
小賀坂 勝美さん
「職人への道」

 「表具人生」高らか

「読んでくれる人にありがとうの思いを込めて、笑ってもらえる作品を書きたい」と語る小賀坂勝美さん

 「一週間で書いたものが、こんな大きな賞を頂くなんて」と驚きを隠せない。

 十年ほど前、投稿好きの友人に触発され書き物を始めた。「ばん茶せん茶」など本紙投稿欄でもこれまでに八回採用され、「私にとって、書くことは記念写真のようなもの」と執筆を楽しむ。

 つづり方教室で知り合った仲間八人ほどが集まり、月一回程度、書き上げた作品を批評し合っている。今回も随筆賞応募のため四月に集まった。

別なテーマで二編書いたが、仲間に書き切れていないと評された。推敲(すいこう)を重ね、何とかものにしようとしたがかなわず、「締め切りに間に合うのは、自分の職業である表具に関してしかなかった。それが選ばれた。皮肉ですね」と笑う。

 表具を始めて十六年。今では工房を構えるまでになった。自宅が平泉町の中尊寺に近いこともあり、同寺や一関市内の寺院からの注文も多い。「蔵に眠っていた古い作品がこの手でよみがえったときは、本当に感動する」と表具の魅力を語る。夫の和典さん(54)も二年前に会社を辞め、二人でこつこつ作業を進める。「手伝い程度だった夫がめきめきと腕を上げ、今では私が右腕にさせられそう」と苦笑い。

 世界遺産登録を目指す平泉町。ギャラリーも備えた店を表通りに建てることがささやかな夢だ。「夫と二人で表具をつくるところを見せて、外国人にも日本の文化を伝えたい」と青写真を描く。

 表具師のかたわら週六回、夕方から学校図書館で働く。「書き物をするとき、すぐに専門書で調べられるから、なかなか辞められない」。活字との縁はどこまでも深い。

 こがさか・かつみ 東北福祉大卒。夫とともに表具店経営、夜間は一関高専図書館臨時職員。一関市委託の「障害者ふれあい事業」で表具教室講師も務める。平泉町。表具師。51歳。東京都中野区出身。

 


随筆賞
職人への道 小賀坂勝美

 「ほらっ、指が違うだろ!」

 師匠の目が光り、注意が飛ぶ。またもや刷毛(はけ)の持ち方を間違えてしまったのだ。表具刷毛は形も持ち方も卓球のラケットに似ているので、気をつけていても、いつの間にか慣れた持ち方になっている。あわてて握り直した手もとはぎこちない。背中に師匠の視線を感じて、ガチガチと肩も凝ってくる。表具修業の第一歩は刷毛の正しい持ち方から始まった。

 表具と出合ったのは30代半ばのころ。町民講座に表具教室が開講していた。そのころの私は「表具」という言葉など知らなくて、掛け軸にはなんの興味もなかった。洋風スタイルにあこがれて、和の文化を一段低く見ていた若い時代である。

 そんな私が、掛け軸を作ることになった。この講座に参加したがっていた母に代わっての受講である。夏場の蒸し暑い時期に立ちっぱなしの作業は病弱な母には無理だと思ったからだ。

 表具教室は毎週1回、10回コースで掛け軸を一幅完成させる。講習は先生がみんなを集めて一区切りお手本をやってみせ、私たちがそれを即実践するという形である。目と体で覚えるということなのだろう。テキストなどプリントされたものは一切ない。

 説明書きを読んでだいたいの流れをつかみ、先生の実演は参考程度。分からないところは後でもう一度じっくり読み込んで理解すればいい、と高をくくっていた私には困った方式だ。メモを取っているうちに大切な場面を見逃がしてしまうことも多い。馴染(なじ)みのない「寸・尺」の単位もやっかいだ。開講直後からやる気をなくした。

 だが、道具と材料のスポンサーは母である。母は新築中の我が家に掛け軸を飾るのを楽しみにして、私をこの講座に送り込んでいる。

 「興味はないけど、切ったり張ったりの工作はまかしとき!」

 大口をたたいた手前、何とかモノにしなければならないのだが、悪戦苦闘の末に仕上った掛け軸はとても不格好で、床飾りには向かなかった。

 翌年の講座は知らないふりをした。しかし母は公民館からのお知らせを見逃さない。

 「立派な道具も揃(そろ)えたんだし、1本くらいまともなものを作ってちょうだい」

 「………」

 投げ出したい気持ちにフタをして、またもや講座通いが始まった。昨年の経験はすでに記憶のかなたに消えている。つかみかけたコツのようなものも、長い時間の空白でゼロに戻っていた。だがこんないい加減な私のどこを見抜いたのか、先生は「弟子になれ」と言う。その一言が私の人生を大きく変えることになった。

 言われるままに表具師の見習いになった私の仕事は古屏風(びょうぶ)の解体と桟掃除、下張り紙の張りつけという雑用である。来る日も来る日も汚くて単調な作業の繰り返しで次第に飽きてきた。しかし、ここが我慢のしどころ。今はじっくりと刷毛さばきを学び、自分のものにする修練の時なのだ。自己流の癖を直され、表具の基本的なことをしっかりと教え込まれた。

 刷毛が身体の一部分となって自由に使えるようになると、いよいよお客様の作品に触らせてもらえる。このころになると仕事のおもしろさがうっすらと分かってきた。

 実際、表具修業とは技術の上達だけではなかった。書画作品や落款を見る目、仏教や茶道の基礎知識、色彩のセンス、表具材料である和紙や裂地から紙漉(す)きや機織りの工程、さらには染色へと関連領域は幅広い。作業の合間に聞く師匠の話はどれも興味深いものだ。

 表具の役目は作品の装飾と保存にある、とも教えられた。書画作品が人々の生活の中に取り込まれ、何百年も生き続けられるのは掛け軸や額の形に表具されているからである。紙や絹という脆弱(ぜいじゃく)な素材にしるされた文化を先の時代から受け継ぎ、次の時代へ受け渡すための「器作り」が表具なのだと気がついて、仕事に誇りが生まれた。そしてそれは本気で職人への道を歩き出す力となった。

 私が暮らす平泉の中尊寺は、栄華をきわめた平安時代の100年間に膨大な数の経文を書写して今に残している。装飾経の至宝として知られる「中尊寺経」をガラスケース越しに眺めた時、一体だれが紙を漉き、紺色に染め、巻物に表具したのだろうか、とふと考えた。書物は職人たちの記録など一切伝えていないが、技術を携えて京から下って来たさまざまな職種の工人たちがこの地に定住し、平泉の壮大な仏教文化を下支えしたことは想像に難くない。

 中尊寺の山から湧き出した清水で糊(のり)を炊き、経巻作りをしていた職人が、今の私の仕事場の近くに工房を構えていたかもしれないと思うと、胸は高鳴る。

 もしも時空を越えて彼に会えたなら、仕事の成果は800年後も立派に残っていること、それも荘厳な経文の表具ゆえに国の宝となって大切に護(まも)られていることを、ぜひとも伝えたい。そして、私も後の世で同じ道を歩いている者です、と名乗りたい。

   
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