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第18回岩手日報文学賞(平成15年)
 5氏栄えある受賞 岩手日報文学賞
岩手日報文学賞<受賞講演へ>

 岩手日報社主催の第18回岩手日報文学賞(啄木賞、賢治賞、随筆賞)の贈呈式は19日、盛岡市の岩手日報社5階ホールで行われた。啄木賞は該当者がなく、賢治賞は東京都豊島区、東葛看護専門学校校長・三上満氏(71)の「明日あしたへの銀河鉄道 わが心の宮沢賢治」(新日本出版社)に、随筆賞は金ケ崎町、民芸品製造・販売業澤藤範次郎氏(59)の「細野女剣舞」に贈られた。

 三上氏、澤藤氏、随筆賞佳作の盛岡市、主婦酒井邦子さん(50)、同市、保険代理業野中康行氏(60)、同市、農業斉藤なみさん(60)、啄木賞審査員長の遊座昭吾国際啄木学会理事、賢治賞同・斎藤文一新潟大名誉教授、随筆賞審査員の作家園村慧さん、エッセイスト澤口たまみさん、岩手日報社の村田源一朗社長ら約70人が出席した。

 三浦宏岩手日報社専務が各賞の選考経過を報告。村田社長が、三上氏に正賞のブロンズ像「エリカ」(彫刻家・故舟越保武氏制作)と賞金50万円、澤藤氏に「エリカ」と賞金10万円、佳作の三氏に賞状と賞金5万円を贈った。

 村田社長は「三上さんが賢治の心情に一体化しようとして書かれた研究は心に響いた。啄木賞は残念な結果となったが、随筆賞の澤藤さんの作品は格調高く、独自の美学も感じられた。佳作の3編もいずれも胸を揺さぶられた」と5人の受賞者をたたえた。

 佐藤勝県教育長、阿部正樹IBC岩手放送専務が祝辞を述べ、三上、澤藤両氏が謝辞を述べた。

 賢治の理想受け継ぐ 三上 満氏 思いがけない受賞を喜んでいる。中学時代から賢治の作品とともに歩んできたが、これからも大きな夢を描くロマンを持ち、賢治の理想を受け継ぐランナーとして走り続けたい。

 職人随筆家続けたい 澤藤 範次郎氏 自分の考えを正しく美しい日本語で残したいと始めた随筆でこのような賞をいただき感激している。「張り子職人のエッセイスト」として、作りつつ、書き続けていきたい。

【写真=岩手日報文学賞を受賞した前列左から賢治賞・三上満氏、随筆賞・澤藤範次郎氏。後列左から随筆賞佳作の酒井邦子さん、野中康行氏、斉藤なみさん】


〜 受賞者決まる〜
賢治賞

三上 満氏(東京)

随筆賞

澤藤 範次郎氏(金ケ崎)

啄木賞

該当作なし

 岩手日報社主催の第18回岩手日報文学賞(啄木賞、賢治賞、随筆賞)の受賞者が決まりました。賢治賞は、東京都豊島区、東葛看護専門学校長、三上満氏(71)の「明日(あした)への銀河鉄道 わが心の宮沢賢治」(新日本出版社)が選ばれ、啄木賞は該当作がありませんでした。随筆賞は、金ケ崎町、民芸品製造・販売業、澤藤範次郎氏(59)の「細野女剣舞」と決まりました。

 「明日への銀河鉄道」は、賢治のように身を呈して敗れた者の側に立ち、苦悩を背負った人の真言は真の勇気をもたらすと指摘し、賢治を多面的にとらえています。さらに賢治の生涯と文学が現代に問いかける意義を探っています。

 「細野女剣舞」は、女剣舞の様子が鮮やかに目に浮かぶ優れた描写力で、面作り職人の跳ね人(踊り手)たちへの思いと女剣舞の誕生の由来を巧みに描いた作品です。

◇      ◇      ◇ 

 贈呈式は19日午前11時から岩手日報社で行い、三上氏に正賞のブロンズ像「エリカ」(彫刻家・故舟越保武氏制作)と賞金50万円、随筆賞の澤藤氏には、「エリカ」と賞金10万円が贈られます。

 随筆賞の佳作に酒井邦子さん(盛岡市)の「五月の空と母」、野中康行氏(盛岡市)の「ハナミズキ」、斉藤なみさん(盛岡市)の「父のために母のために」の3編が選ばれ、賞金5万円が贈られます。

 三上氏の受賞記念講演会は、19日午後5時から岩手日報社5階ホールで行います。入場無料。


受賞者の横顔
 
賢治賞
三上 満氏
「明日(あした)への銀河鉄道 わが心の宮沢賢治」

 生かせ「共感」の思想

「賢治が実践した教育の豊かさを、いま一度伝え直したい」と話す三上満さん

 「岩手日報の賢治賞は知っていたが、まさか僕のような者に。過去の受賞者を見ても、深く研究している人たちばかりなので」。謙虚な言葉に喜びがにじむ。

 高校時代に賢治に出会って55年。大学在学中には反発を覚えた時期もあったが、卒業論文は「宮沢賢治論」。賢治を生涯の友とし、教育の道を歩んできた。

 1997年に著した前著「宮沢賢治 修羅への旅」は紀行文的な内容。2001年の米国同時多発テロと、その後の世界情勢をとらえる中でも「賢治の今日的な意味はますます大きくなっている」との意を強くし、長年温めてきた賢治論を一気に書き上げた。

 タイトルに「明日への」とあるように、賢治の中の「未来に属すもの」を読み取り、今に生かさねばならない−と説く。賢治の心の豊かさ、あらゆる存在に向けた尊敬と共感、「人びとのほんとうの幸い」を求め続けた志とその足跡。この3つが、私たちが受け継ぐべきバトンであると。

 「賢治の描いた世界が、今になって現実的課題として歴史の深みから浮かび上がってきた。恐怖の均衡論ではない平和を求める声の広がりは、賢治童話のメッセージとつながっている」 賢治の詩人としての感性に心酔し、それを語る口調は自然と熱を帯びる。「澱たまった光の澱おりの底」を賢治作品で最高の詩と評価。ほかにも好きな詩を挙げればとめどなく「友達の前でよく暗唱して聞かせたもの」と愉快そうに述懐する。

 中学教諭から教職員組合の役員となり、全国組織のトップを長く務めた。4年前の東京都知事選には、革新系無所属候補として出馬。「選挙は後にも先にもこの1回きり。楽しい経験をした」と笑って振り返る選挙戦では「ほんとうの幸せを求めて進んでいこう」と訴えた。

 現在は看護専門学校の校長の傍ら、教育問題の講演などでも忙しい。「今回本を書く中で、新たに気付いたことも多い。賢治と教育という点から、もう1冊書いてみたい」。一仕事終えた先に、新たな視界が開けたと見え、執筆意欲がまた高まっている。

 みかみ・みつる 東京大教育学部教育学科卒。東京都内の区立中教諭を26年間務めた後、都教組委員長、全教委員長、全労連議長を歴任。2000年から勤医会東葛看護専門学校(千葉県流山市)校長。著書に「宮沢賢治 修羅への旅」(ルック)。東京都豊島区。71歳。東京・赤坂生まれ。

 


 
随筆賞
澤藤 範次郎さん
「細野女剣舞」

 鬼と化す女心に迫る

「張り子人形作りは間口は広い。随筆も同じ」と話す澤藤範次郎さん

 随筆賞への応募は初めて。知人の女性声楽家が大病後、声楽コンクールに挑戦したことに刺激された。「われわれの年齢になると、今さら人から評価されたくないのが普通。彼女の姿勢に心を動かされ、『よし、自分も』という気になった」 父の跡を継いで、19歳から民芸品作りの道へ。金ケ崎町で「六原張り子」製作の「さわはん工房」を営む。

 −同町の細野女剣舞の庭元から「跳ね人(踊り手)が増えたから」と、10数年ぶりに新しい面の製作を注文される。女剣舞を初めて見たのは25年ほど前。全身で喜びを表現した踊りに感激する一方、「なぜ女たちが剣舞を踊るのか、なぜ女たちが鬼になるのか」疑問を抱く。

 太平洋戦争末期、男たちが召集され、女たちが家も農業も、そして伝統芸能も守らなければならなくなった。「夫を戦場に駆り立てられた憤り」と「戦後は出稼ぎで留守をする心細さ」に、若妻たちが鬼となって耐えたのではないか−と読み解く部分が、全編のヤマ場だ。

 「勇壮な踊りの中にも、女性らしい柔らかな曲線の美しさがある。もはや男の代役ではなく、『おなご剣舞』という1つのものを確立した気がする」と、その魅力にほれ込む。

 郷土芸能の愛好歴は長い。小学校時代は鬼剣舞の絵をかくことに熱中、卒業文集に「鬼剣舞になりたい」と書いた。岩手民俗の会に属し、民俗芸能の調査研究に力を入れたことも。見巧者(みごうしゃ)ならではの観察眼が、受賞作にも生かされている。

 長年、温めていた題材だけに、朝起きて3時間で一気に書き上げた。「応募後に読み直したら欠点だらけ。見直しを徹底できないのは私の性分。張り子人形も構想には時間をかけるが、手をかけたら、後は一気」と苦笑い。

 町内の随筆同人誌「ペンペン草」の事務局を務める。「教え合い、刺激し合う仲間に恵まれた。受賞作と同レベルの題材に出合えるか自信はないが、書かなければという思いに迫られている」

 さわふじ・はんじろう  奥州大卒。民芸品製造販売業を営み、金ケ崎町に工房、北上市に直売店を持つ。金ケ崎町。59歳。北上市生まれ。

 


随筆賞
「細野女剣舞」 澤藤範次郎


 「新しい面をふたつ作って欲しい」。

 早朝、細野女剣舞の庭元が訪ねてきた。軽トラックから降りた彼は、作業着に地下足袋姿。スネには脚絆(きゃはん)がまかれ、鞘(さや)に納まった鉈(なた)が腰に下がっていた。

 「工房に上がって」と勧めたが、山仕事に行く途中だからと断り、玄関先で用件を語った。

 「新しく跳ね人が増えたから、面が必要になった」と、嬉(うれ)しそうである。跳ね人とは、剣舞の踊り手のことである。

 「若い女性ですか」

 「そうだ」

 「三代目ですね」

 うなずく顔が、誇らしい。

 「これが今、うちの女房が被(かぶ)っている面だ」と、手作りの袋から大切に取りだした面は、紛れもなく私が十数年前に作ったものである。見れば、相当年月が経(た)っているのにどこも壊れてはいない。それでもこれまで何度も使われたであろうことは、落ち着いた色合いに変わったその光沢から伺える。

 細野剣舞が被る面は、黄色1色だけである。普通剣舞は、青、赤、白、黒4色の面を被り、それらはそれぞれ春夏秋冬や、東、南、西、北を表し、また、大日如来を守護する五大明王のうちの降三世、軍茶利、大威徳、金剛夜叉(やしゃ)の各明王を表すと言われている。

 だが、細野では、代々黄色い面だけが用いられてきた。それには一体どんな意味があるのだろうか。十数年前に制作を依頼されたときの疑問が、再びわき起こってきた。

 中国の五行思想によれば、黄色は土を表すと言う。更に東西南北4色の中心に位置するのが黄色だとも解釈されているから、これは農民の誇りを表し、更には五大明王の中心、大日如来の化身である、不動明王を表すものかも知れない。

 「この型ならまだありますから」と、私は製作を引き受けた。なによりも、地元の芸能に使われるのが、嬉しい。

 細野女剣舞を初めて見たのは、今から25年ほど前のことであった。なにかの催しにゲストとして招かれたのだったが、私はあの時の驚きを今でも忘れることが出来ない。

 それまで剣舞は男の芸能だと信じていた。元々は、平泉で死んだ義経主従の怨霊(おんりょう)を鎮め、邪悪を払う修験の所作から始まった芸能だと言われる。後に先祖供養、家内安全、豊作祈願なども祈られるようになったが、あの激しい踊りを女が出来るものではなく、女が踊るという意味も感じられなかった。

 だが、催場の青空の下、8人の剣舞は見事だった。面は被っているが、その体型から女性達だとすぐに分かった。男達のような険しさや鋭さは感じられないが、動きには流れがあり、リズムは軽やかだった。

 激しい動きに胸は大きく揺れていた。茶色に黒の線の入ったモンペの脇から時折見える下着が多少色っぽかったが、熟練した踊りは、永く伝承されたことを物語っていた。なによりも8人の踊り手達が全員、喜びを体いっぱい表現していることが嬉しかった。

 笛、太鼓、手平鐘に合わせた長い一番が終わると、女達はその場に座り込み、肩で息をしてしばらくは動けなかった。そうしておもむろに面をはずしたその顔を見て、私は感激した。

 なんと、「初老」と見える女達だったのである。長い農作業で刻まれたであろう深いシワは汗に輝き、満面は屈託のない笑顔だった。

 勿論(もちろん)、観衆の拍手はしばらく周囲の建物に反響して止(や)まなかった。

 「なぜ女達が剣舞を踊るのか、なぜ女が鬼になるのか」。それもこれほど見事に。私はその疑問を解いてみたかった。いろいろと調べて、次のことが次第に分かってきた。

 今から60年ほど前、太平洋戦争も末期になって、男達は次から次と召集され、集落は女だけになってしまった。女達が家と農作業を守り、地域を守らねばならなかった。地域に代々受け継がれてきた伝統芸能も担い手はなく、消滅しそうになっていた。そのとき、若妻たちが立ち上がったのである。

 「自分たちで剣舞を受け継ごう」と。戦時中のことである。大和なでしこが鬼になるなど、きっとタブーだったに違いない。だが、夫を戦場に駆り立てられた若妻達の憤りが、鬼になることをいとわなかったのではないだろうか。

 細野剣舞は、以来、女剣舞として継承された。戦後は、折角無事に帰った夫が、今度は出稼ぎで留守をするという心細さを女達は鬼となって耐えたのだった。

 彼女らは既に後継の嫁達に道を譲り、更に今、三代目の若い女性が鬼面を被るという。

 安倍宗任が築いたと言われる鳥海の柵(さく)。その鳥海の地名を誇りとする細野女剣舞が廃れることのないようにと、私は黄色い面を作っている。



   
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