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第17回岩手日報文学賞(平成14年)
 5氏1団体受賞 岩手日報文学賞

 岩手日報社主催の第17回岩手日報文学賞(啄木賞、賢治賞、随筆賞)の贈呈式は19日、盛岡市の岩手日報社5階ホールで行われた。啄木賞は京都府八幡市、京都大名誉教授田中礼(ひろし)氏(71)の「啄木とその系譜」と、国際啄木学会(会長・上田博立命館大教授)編の「石川啄木事典」、賢治賞は神奈川県相模原市、元中学校教諭奥田弘氏(82)の「宮沢賢治研究資料探索」に贈られた。随筆賞は該当作がなかった。

 贈呈式は田中氏、上田会長、奥田氏と随筆賞佳作の盛岡市の農業斉藤なみさん(59)、同市の会社員野中康行氏(59)、同市の主婦中村幸子さん(52)、啄木賞審査委員長の遊座昭吾国際啄木学会理事、賢治賞同・斎藤文一新潟大名誉教授、随筆賞同・作家三好京三氏、岩手日報社の村田源一朗社長ら約60人が出席した。

 三浦宏岩手日報社専務が各賞の選考経過を報告。村田社長が田中氏、国際啄木学会、奥田氏に正賞のブロンズ像エリカ(彫刻家・故舟越保武氏制作)と賞金50万円、佳作3氏に賞金各5万円を贈った。

 村田社長は「啄木、賢治は研究家によってさまざまな国々に紹介され、多くのファンを生み出している。さらなる発展を願う。随筆賞佳作も自分の心と対峙(たいじ)した感動的な文章だ」とたたえた。

 五十嵐正県教育長、菊池昭雄IBC岩手放送社長(小西隆昭専務代読)が祝辞を述べ、田中氏、上田会長、奥田氏が受賞の喜びを語った。

 より一層研究精進 田中礼氏 最も敬愛している石川啄木の名を冠した賞を岩手の地で受け、感激している。これを契機に、より一層研究に精進していきたい。

 会員一同大変喜ぶ 上田博国際啄木学会会長 学会の力を結集した事典が高い評価を受け、会員一同大変喜んでいる。改訂版を目指し、さらに研究を進めたい。

 研究者と妻に感謝 奥田弘氏 思いがけない受賞。どうもありがとうございます。出版を勧めてくれた研究者と、支えてくれた妻にも感謝したい。

【写真=岩手日報文学賞を受賞した前列左から啄木賞・国際啄木学会の上田博会長、同賞・田中礼氏、賢治賞・奥田弘氏。後列左から随筆賞佳作の野中康行氏、斉藤なみさん、中村幸子さん】


〜 受賞者決まる〜
啄木賞

田中 礼氏(京都府)

啄木賞

国際啄木学会

賢治賞

奥田 弘氏(神奈川県)

随筆賞

該当作なし

 岩手日報社主催の第17回岩手日報文学賞(啄木賞、賢治賞、随筆賞)の受賞者が決まりました。啄木賞は、京都府八幡市、京都大名誉教授田中礼ひろし氏(71)の「啄木とその系譜」(洋々社)、国際啄木学会(会長・上田博立命館大教授、会員175人)編の「石川啄木事典」(おうふう)、賢治賞は神奈川県相模原市、元中学校教諭奥田弘氏(82)の「宮沢賢治研究資料探索」(蒼丘書林)が選ばれました。随筆賞は該当作がありませんでした。

 「啄木とその系譜」は、あこがれていた洋行を果たせなかった啄木と西洋近代とのかかわりから新しい啄木像を形成したほか、啄木の遺志を継ぐ歌人の群像に焦点を当てました。

 「石川啄木事典」は、啄木研究90年の成果を総結集し、啄木を多面的にとらえました。作品篇、項目篇、資料篇からなる収録項目は7人の編集委員が厳選し、全国の啄木研究家108人が執筆しました。

 「宮沢賢治研究資料探索」は、長年にわたって丹念に調査した書簡などの資料の研究成果をまとめました。盛岡高等農林学校の木村修三教授が賢治に与えた影響などを初めて指摘しました。

  ◇      ◇      ◇ 

 贈呈式は19日午前11時から岩手日報社で行い、田中氏、国際啄木学会、奥田氏に正賞のブロンズ像「エリカ」(彫刻家・故舟越保武氏制作)と賞金50万円が贈られます。

 随筆賞の佳作には、斉藤なみさん(盛岡市)の「十年遅れの卒業証書」、野中康行氏(盛岡市)の「あかずのノート」、中村幸子さん(盛岡市)の「母ちゃんはアヒルだよ」の3編が選ばれ、賞金5万円が贈られます。

 受賞記念講演会は、19日午後6時から岩手日報社5階ホールで行い、田中、上田、奥田の3氏が講演します。入場無料。



受賞者の横顔
 
啄木賞
田中 礼氏 
「啄木とその系譜」

 作品の深層心理探る

「啄木短歌は古里の風土に密着しながらも、万人が共感する普遍性を持っている」と述べる田中礼さん

 閉塞した時代に生きた啄木の存在に焦点を当て、欧米文学とのかかわりを踏まえながら、作品に込められた深層心理を探っていった。

 長年、米国の文学者ホイットマン(1819−92年)を研究してきたが、英米文学での方法論は啄木にも有効に機能するという。

 「ホイットマンにしても、さまざまな国に研究者がいる。その研究をたどっていくことで、その時代の作品のとらえ方の違いや、一貫している部分が明確になった。啄木も同じで、研究史を追っていくことで、近代日本文学史の特徴まで理解できる」と語る。

 啄木文学の魅力は「回想歌」にあるとする一方、「郷土性」と「普遍性」が混在しているところが、多くの人間の共感を呼ぶのではないかと推測する。

 「東京で渋民や北海道を詠んだ歌などは、事実を基にしながら後から『クリエイト』された部分が大きい。その辺を念頭に置きながら研究していく必要がある」と強調した。

 啄木は「ふと」や「ひょっとして」というような語を使い、人の「瞬間の意識」をうまく切り取り、歌にしているという。

 晩年の啄木は社会主義思想に傾倒し、幸徳秋水らの大逆事件(1910年)に敏感に反応したことはよく知られている。

 「啄木の思想は、晩年に『挫折した』との見方と『しなやかに生き続けた』という見解がある」と解説しながら「研究者の時代のとらえ方と密接にかかわってくるわけだが、事実を踏まえながら新しい作品を創造していったプロセスを追求したい」と意欲を明かした。

 近年の啄木研究は質、量ともに大きな成果が蓄積されており、文献も相当数にのぼる。

 「啄木という名のついた賞をいただけるのは光栄。社会の現実から目をそらさずに論をうち立てていった、彼の意志の強さも研究してみたい」と笑顔で語った。

 たなか・ひろし 京都大文学部英文学科卒。現在京都大名誉教授。アメリカ文学を専攻するほか、国際啄木学会、新日本歌人協会などに所属する。啄木関係の主著は「論攷(こう)石川啄木」(洋々社)。京都府八幡市。71歳。神戸市生まれ。

 

 
啄木賞
国際啄木学会 
「石川啄木辞典」

 研究の粋集めて編集

「啄木事典には多くの反響がある。今回の受賞を新たなジャンプ台にしたい」と語る国際啄木学会の上田博会長

 1989年に創立された国際啄木学会(会長・上田博立命館大教授)が総力を挙げ、研究の粋を集めて編集した待望の啄木事典。上田会長をはじめ、7人の啄木研究者が編集委員を務め、愛好家を含め100人以上に執筆を依頼し、啄木の全体像に迫った。

 上田会長は「多くの人に協力をいただいたが、結果的に共同意識が生まれて、いい方向に向かった。これも核になる研究者がいて、その周りを多くのファンが取り囲むという啄木研究の特徴が生かされたと思う」と振り返った。

 啄木の残した詩歌、小説、評論などは時代の変遷とともにさまざまな解釈がなされ、その人間像を難解なものにしている。

 本書は、啄木にまつわる二百数十人を紹介しているほか、「イメージ」と「キーワード」というユニークな項目を設定。「女教師」「酒」といった啄木の感情風景や、「大逆事件」「無政府主義」など思想の骨格にあったとされる用語を、筆者独特の視点で説明している。

 「人物の解説などは、だれが書いても大差はない。イメージ項目を掲載したことにより、全体像の理解が進むのではないか。文学はイメージの喚起力が勝負。新しい啄木研究の可能性を引き出したという自負はある」と自信をみせた。

 編集作業は丸2年に及んだ。15回ほど検討会を開き、「執筆者の意向を尊重しながらもヘトヘトになるまで話し込んだ」という。それだけに受賞の喜びも大きい。「学会としては大変な名誉。全会員に報告したい」と笑顔を見せた。

 国際啄木学会はこれまで13回の大会を開催。会員の啄木観がぶつかり合う白熱した議論を繰り広げてきた。若手研究者も台頭しており、さらなる発展が期待される。

 「鑑賞する側の見方が柔らかければ、啄木はいくらでも新しい側面を見せてくれる。改訂版の出版を目指しながら、学会のレベルアップを図っていきたい」と意欲を口にした。

 国際啄木学会 1889創立。翌年盛岡で創立記念大会を開いたのをはじめ、今年の台湾・高雄大会まで13回の学会を開催。歌人石川啄木の魅力を多角的に検証し続けている。現在の会員は175人。

 
賢治賞
「宮沢賢治研究資料探索」
「宮沢賢治研究資料探索」

 妥協許さぬ徹底ぶり

「明治以来の文壇に影響されていない賢治の魅力に引きつけられてきた」と語る奥田弘さん

 「若い研究者の『ぜひに』との声がなければ、世に出なかった本。思いがけない賞にびっくりしている」。

 内容の大半が、早稲田大出身者の同人誌「銅鑼(どら)」誌上での発表にとどまっていた論文。後輩研究者の後押しを受けて貴重な論稿が1冊にまとまり、正当な評価を与えられた。

 本書は、書簡を中心に賢治にまつわる周辺資料を、長年にわたり丹念に調査研究した成果をまとめた。盛岡高等農林の木村修三教授の講義が、賢治の後年の産業組合への関心、ひいては羅須地人協会の設立、「農民芸術概論」執筆の源流となった−などは本稿で初めて明らかになった事柄だ。

 妥協を許さない徹底した資料研究は綿密を極め、対象範囲も広範だ。よって立つ「足場」の確かさが、賢治の実像を浮かび上がらせる力となっている。

 「探索の奥田」と評される。賢治全集の編さん委員としても、誠実に取り組んできた。「机の上だけの仕事は向いてない。(調べる対象の)土地の人から直接話を聞かないで筆は執れない」とは、この人らしい。

 賢治全集にかかわっていたころは、毎年3、4回は岩手に足を運んだ。賢治の歩いた跡を訪ねて、三陸沿岸をヒッチハイクした経験も。「(岩泉町)安家で調べたいことがまだある。今は道路も変わったはずだが、また行ってみたい」 昭和30年ごろだったろうか。「雨ニモマケズ」の詩碑を花巻に見に行った後、前触れもなく宮沢家を訪ねたことがある。「突然の訪問者を、ご両親と(弟の)清六さんは快く迎えてくれた。本当に感激した」と、賢治研究に没入する原点となった出会いに感謝する。

 80歳を過ぎた現在も、自宅近くに20坪ほどの畑を借りて野菜づくりに励む。「賢治が生涯をかけてしたことは、農民相手の仕事に尽きる。ただそれで命を縮め、親より先に亡くなったのは残念でならない」と悼む気持ちは今なお深い。

 おくだ・ひろし 早稲田大文学部国文科卒。都内の公立中学校で教職を務める傍ら、宮沢賢治研究を進める。校本、新校本の「宮澤賢治全集」(ともに筑摩書房)編さん委員。1990年から2年間、宮沢賢治学会イーハトーブセンター理事。神奈川県相模原市。茨城県日立市出身。82歳。


 
   
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