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平成三陸大津波「記者の証言」

防潮堤越えた黒い波
宮古市役所5階で取材  ─ 熊谷 真也
(2011年4月26日)

 

防潮堤を乗り越え、市街地を襲う「黒い波」。
車がマッチ箱のように流される=3月11日午後3時25分

 防潮堤を越えた黒い波が街をのみ込んでいく。次々と流される車や漁船。勢いを増す波にラーメン店や印刷所などの建物も壊され、見慣れた街並みは一変してしまった。宮古市新川町の市役所5階のベランダから見た光景はあまりに残酷だった。

 3月11日午後2時46分。市議会本会議を取材するため、市役所6階にいた。突如、大きな揺れに襲われ、屋外へ避難。海に近い宮古漁協ビルに移ろうとしたが、移動時間を考え、市役所での取材に変更した。車から望遠レンズを持ち出し、5階に上がった。

津波はせきを切ったように市街地へ流れ込む。
車は跡形もない=午後3時25分

 「閉伊川河口から上る津波の様子が撮れるかな」。最初はその程度の認識だった。しかし、規模は想像を超えていた。第1波。徐々に海面が盛り上がり、係留していた漁船が流され、宮古大橋の橋脚に激突。バリバリという音が響く。津波は続き、午後3時25分、防潮堤を乗り越え、真っ黒い波が市街地を襲った。

 波はゴーッと音を立て、次々と建物や車をのみ込む。「うそだろ」とつぶやく市職員。非現実的な場面にただシャッターを切り続けた。壊された建物からほこりが煙のように舞い上がり、津波が街を突き進んでいった。

 建物屋上に避難する人たちの姿が見えた。電柱に登り、難を逃れた男性を市職員が「頑張れー」と励ます。アパートで母親が「赤ちゃんがいるんです」と泣き叫んでいた。

「黒い波」は濁流となって市街地をのみ込んだ
=午後3時26分

 市役所も1階が浸水し、孤立した。停電し、携帯電話、固定電話ともに不通。市内にいる家族や盛岡の本社と連絡が取れず、暗くなる中、懐中電灯の明かりを頼りにラジオに耳を澄ました。

 夜に1社の携帯電話が通じ、市職員に借りて会社に状況を連絡した。余震が続き、「いつまでこの建物はもつだろう。同僚、家族は無事だろうか」と不安が増す。顔見知りの職員と話すことで気を紛らわした。

 夜が明け、周辺を歩いた。建物が、船が道路をふさぐ。泥をかき分け、家族を捜す人、がれきの隙間をくぐり抜けて自宅に入ろうとする人。あまりに悲惨な光景に「自分に何ができるだろう」とたじろいだ。写真を撮るため、声を掛けた男性に「この状況をしっかり見て伝えてくれ」と話され、カメラを強く握りしめた。


 
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