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東日本大震災ロング企画
 第9部 チリを歩く@
半世紀前の記憶 先人の教訓が命守る 2012年2月16日


 東日本大震災発生1年前の2010年2月27日午前3時34分(日本時間午後3時34分)、南米チリをマグニチュード(M)8・8の巨大地震が襲った。地震と津波により同国で犠牲者が500人を超える大惨事。津波は太平洋を1万7千キロ渡り、本県にも18億円以上の水産被害をもたらした。あれから2年。同国の被災者は、いかに生き抜き、復興を目指しているのか。地球の裏側の同国を歩いた。

(報道部・礒崎真澄)

 震源から約170キロ南南西のアラウコ市トゥブール。小さな漁村を津波が襲った。

 「みんな高台に逃げて、町には一人も残らなかった」

 自治会長を務めていたマルタ・サラサールさん(48)は振り返る。2月末は、南半球の同地では夏休みの終盤。日が昇るまでには時間がある。真っ暗な中、押し寄せる波は見えなかったが、木や船などが異様な音をたてぶつかっているのが分かった。

 ラジオでは「家に戻ってもよい」という放送が流れる。しかし「明るくなるまでここにいよう。戻っては駄目だ」と、住民は高台で声を掛け合い、数時間、避難を続けた。

 「1960年の地震と津波の話を、おじいさんやおばあさんがいつも話していた。『地震があったら高い所へ逃げろ。津波は何度も来るものだ』と言い聞かされてきた」。マルタさんらの心にあった先人の教訓が住民の命を守った。

 同地域も津波被害を受けた60年のチリ地震。史上最大規模のM9・5を記録した地震と津波は同国で1700人を超す命を奪い、日本でも大船渡市の53人を最多に計142人の犠牲者を出した。

 半世紀前の記憶が生きたのは、他の地域でも同じだった。多くの家屋が被災した震源から100キロ南南西のタルカウアノ市エル・モロ地区。漁師アルフォンソ・アルベアルさん(71)も「津波は3回来るものと聞いて育った」と近くの小山に避難し、第1波の去った住宅地に下りることはなかった。

 10年の地震では、発生1時間半後に国が津波警報を誤って解除。その後の津波などにより156人が死亡し25人が行方不明になったとされ、同国検察当局が当時の内務次官らの過失致死罪での起訴を決めている。

 警報に不手際があったにもかかわらず多くの人が長時間避難し、津波の規模に対し人的被害が少なかった点について、東北大の今村文彦教授は「社会システムの中で自主的な避難行動が取れており、日本にとっても学ぶ点は多い」と評価する。

【写真=約1・5メートル隆起したトゥブールの船着き場で2010年の津波を振り返る(右から)マルタ・サラサールさんとモニカ・カリージョさん、ミゲール・シルバさん】


 
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