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東日本大震災ロング企画
 第5部 復興計画F
奥尻島ルポ(下) 町悩ます過疎、高齢化 2011年10月30日

 

 1993年の北海道南西沖地震の津波被災から5年。住宅再建や漁船・港の復旧を終えた北海道奥尻(おくしり)町は98年、「完全復興」を宣言した。

 一方、復興事業に伴う膨大な起債が町財政を圧迫。巨大堤防では食い止めることができない、少子高齢化や過疎化など構造的な課題も町を悩ませる。

 島を取り囲む防潮堤は14キロ。高さは壊滅状態となった南端の青苗(あおなえ)地区や初松前(はつまつまえ)地区、北端の稲穂(いなほ)地区では海抜6〜11メートル。さらに、低地は3〜5メートル盛り土して宅地を造成した。

 町は190億円という巨額の義援金で133億円の復興基金を造成し、73項目の復興支援事業を展開。421隻が流失・沈没、170隻が破損した漁船の復旧も早急に行われ、住宅は新築の場合、義援金から1400万円が配分された。

 北海道職員が数年にわたり町に駐在し、道庁が「全戸高台移転」と「一部高台移転」の2種類の土地利用案や復興計画素案を作成。町は住民の意向把握に全力を挙げ計画への反映を図った。

 新村卓実(しんむらたかみ)町長は「多くの義援金や国、道と役割分担ができたことが大きかった」と振り返る。

 震災当時の総務課長で、助役や町長を務めた鴈原徹(がんばらとおる)さん(68)も「人口流出防止のため、住宅再建や漁船確保を急いだ。住民の協力で早く土地利用のめどが立ったことが早期復興につながった」と説明する。

 一方、復興事業費763億円のうち、町負担分の158億円が町財政に重くのしかかった。被災前の92年度に39億円だった町債残高は、98年度には94億円にまで膨らんだ。

 人口の減少傾向も続いている。津波による人口流出はなかったが、町人口は60年の7900人をピークに震災当時4700人、今年8月末現在では3154人にまで減った。

 高齢化率は30%を超し、毎年、地元高卒者約25人は進学や就職でほぼ全員が島を出る。

 2集落が震災で消滅し31集落が残ったが、96年から限界集落(住民の半数以上が高齢者)が現れ始め、今年3月末には8集落に拡大。1集落が消滅した。

 高齢化は防災対策の見直しも迫っている。低地から5分以内の高台避難を目指し、42カ所の避難路を整備したが、階段やスロープが急で高齢者の利用が難しくなっている。

 新村町長は「高齢化対策に取り組んでくるべきだった。建物などもコンパクトに造る必要があった」とする。

 主要産業の漁業を取り巻く環境も厳しい。ひやま漁協奥尻支所(旧奥尻漁協)の組合員は、被災前の407人から今年187人に減少。町は「捕る漁業」から「育てる漁業」への転換を目指すが、99年に完成した「あわび種苗育成センター」の漁業者への種苗提供は、2003年度の15万個から10年度は7万4千個に半減している。

 本県の被災地も少子高齢化や過疎化が進行し、漁業者も減少の一途。今、数十年先を見越したまちづくりを考える上で、奥尻の18年は貴重な教訓となる。

(奥尻島ルポは、報道部・礒崎真澄が担当)

 北海道南西沖地震 1993年7月12日午後10時17分に発生した北海道南西沖を震源とするマグニチュード(M)7.8の地震。最大の被災地となった北海道・奥尻島は、地震後2〜3分で津波が来襲し、到達した高さは最大約30メートル。死者、不明者約230人のうち、奥尻島は死者172人、不明者26人で被害の大半を占めた。

【写真=海抜11メートルの防潮堤が続く奥尻島東部の海岸線。堤防内はかさ上げされ、海岸から見るほど圧迫感はない】


 
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