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東日本大震災ロング企画
 第1部 防災対策D
住民主役の知恵忘れ 巨大防潮堤の矛盾 2011年5月5日

 

 「万里の長城」の異名を取った、延長2433メートル、高さ10メートルの巨大防潮堤。宮古市は同市田老町の防潮堤を大いに誇り、「津波防災のモデル」として国内外に名をはせてきた。

 だが世界的にも珍しいX型の二重防潮堤は、今回の津波で新しい部分だけが倒壊した。

 同市農業課主査で、7年間防災を担当してきた山崎正幸さん(45)は「私は将来のまちづくりのために、あえて市の考えとは異なる意見を言います」と前置きした上で、「田老の津波対策が抱えていた矛盾が、ここに浮き彫りとなっている」と打ち明けた。

 田老地区は1896(明治29)年と1933(昭和8)年の大津波で甚大な被害を受け、翌34(昭和9)年、防潮堤建設に着手した。

 高さは明治三陸津波の15メートルより低い10メートルで、それだけでは街を守れない。だが防潮堤を湾口に対し直角に造ることで津波を沢沿いに受け流し、避難する時間を稼ぐことを目指した。

 内側の市街地は碁盤目状とし、縦方向の道路は全て山に向かって造った。交差点の角を切って見通しをよくし、たとえ真っ暗闇でも迷わず高台へたどり着けるようにした。当時、防災の主役はあくまで住民だった。

 だが、時の流れがその知恵を忘れさせた。

 60(昭和35)年のチリ地震津波後に建設した新防潮堤は、高さは同じ10メートルだが、津波に真っ正面から立ち向かうように、湾口に対し並行に造られた。二重防潮堤が「二の字型」ではなく「X型」となった理由は、設計思想が全く異なるためだ。

 さらに、旧防潮堤と新防潮堤の間には広い土地が生まれ、次第に浜小屋が建ち始めた。平穏な日々が何年か過ぎると家が1軒、2軒と増え、あとは加速度的に市街地が広がった。

 無秩序に延びた道は山に向かず、変形した交差点を何度も曲がらなければ高台にたどり着けない。防潮堤が主役となった新たな街が形成されてしまった。

 今回の大津波は新旧両方の防潮堤を大きく越えたが、津波に立ち向かおうとした新防潮堤が一瞬で倒壊したのに対し、津波を受け流した旧防潮堤は最後まで原形をとどめ、住民が避難する貴重な時間を稼いだ。

 新市街地に住んでいた自営業高屋舗治さん(55)は「巨大な防潮堤を毎日見ているうちに、絶対に安全と思い込んでしまっていた。もう誰もあそこに家を建てようとは思わないだろう」と話す。

 山崎さんは「田老の津波防災の成功と失敗を、今度こそ忘れてはならない」と訴える。

 宮古市田老町の防潮堤とは 高さ10メートルの三つの防潮堤を中央部で接続し、X型としている。防潮堤@は昭和三陸津波を受けて1934〜57年度に建設し、長さは1350メートル、工事費は1872万円。Aはチリ地震津波を受けて62〜65年度に建設し、長さ582メートル、工事費6078万円。今回の津波ではこの部分が倒壊した。Bは73〜78年度に建設し、長さ501メートル、工事費3億8170万円。@、Aは補強工事も行われていた。

【写真=津波で倒壊した新防潮堤(右)と、原形を保った旧防潮堤(左)。防災の主役は防潮堤ではなく、あくまで住民であることを物語る=宮古市田老町】


 
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