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<特集>岩手・宮城内陸地震
岩手・宮城内陸地震

 最大震度6強を観測し、一関市や奥州市を中心に本県に大きな被害をもたらした直下型の「岩手・宮城内陸地震」。山間地での対応、救助体制など課題が浮き彫りになった一方で、過去の教訓が生かされた点もあった。今後、宮城県沖地震の発生も予測される中、災害への備えと課題を検証する。


@情報伝達 通信手段確保で明暗 2008年 7月3日

 6月14日午前8時43分。自然観察会に向かっていた「胆沢ダム水資源のブナ原生林を守る会」(奥州市)のバスを突然、地震が襲った。20人が乗ったバスは約半数が脱出後、林道から約25メートル転落した。車内には複数のけが人が確認されたが、携帯電話はつながらない。

 「いつ助けが来るのだろうか」。同守る会事務局長の小野寺正英さん(64)は救助隊が到着するまでの約4時間半、余震におびえながら、けが人の止血に当たった。

 救助部隊は歩いて現場を目指していた。しかし、途中で本部と無線交信が途絶えた。奥州金ケ崎行政事務組合消防本部の阿部保之消防司令(48)は「県の防災ヘリコプターを経由し、本部と連絡しようとしたが、近くにいなかった。最前線での情報伝達の在り方を考えさせられた」と苦い経験を振り返る。

 同じころ、一関市の団体職員阿部功吾さん(49)は、崩落した同市厳美町の祭畤(まつるべ)大橋近くで孤立した。

 車に積んでいたアマチュア無線を活用し、市内の無線仲間と交信した。徐々に、阿部さんの周囲には取り残された工事関係者や観光客らが集まってきた。

 無線を通して、それぞれの会社や家族に連絡がついた。孤立者らの気持ちは落ち着いた。「連絡手段がなかったら、大変なことになっていたでしょう」と阿部さん。通信手段の確保が心理面に大きな影響を及ぼした。

 2004年10月の新潟県中越地震を経験した同県長岡市は、孤立地帯への対策として07年度、37地域に衛星携帯電話を配備。緊急時に自動的に電源が入るラジオ5300台を町内会長や要援護者宅に配布した。

 しかし、本県の対策は遅れている。県総合防災室の大谷陽一郎室長は「対策は取れていない」と言う。

 災害時の孤立地帯の課題を浮かび上がらせた今回の地震。県立大総合政策学部の牛山素行准教授(災害情報学)は「コスト面から、地域の屯所や消防車に無線配備を進めることが現実的な対応策ではないか」と指摘する。

【写真=孤立した地区からヘリコプターで救助される被災者。迅速な対応の基本となる通信手段の確保が急務だ=6月14日午後6時半、一関市厳美町の本寺小】


A避難所生活 マナー、心構え事前に 2008年 7月4日

 地震発生から5日で3週間。被害が甚大だった一関市と奥州市では、いまだに自宅に戻れない住民が、避難生活を続けている。両市とも長期化する避難所生活への対応は初めての事態だった。

 避難所担当の一関市保健福祉部の千田良一次長は「水害の経験はあったが、孤立地帯が発生する地震は全く別。今回は1カ所で職員の役割分担ができたが…」と市全域の避難所開設には不安を残す。

 県内各市町村は、地域防災計画の中で、避難所を位置付けているが、避難所生活への備えは見落とされがちだ。

 盛岡市は、震度5弱−6強の地震で約1万人、花巻市は阪神大震災規模で、2300人の避難を想定。

 しかし、財政難もあり、長期化を想定した非常食の備えは万全でない。各地で行われる避難訓練は、避難経路や避難場所の確認が中心。避難所生活の訓練や心構えを準備しているケースは少ない。

 災害時のボランティアセンターの設立支援を行う災害ボランティア活動支援プロジェクト会議(東京)の桑原英文さん(43)は「先に来た避難者がスペースを確保し、後から来た人から不満が出る場合がある。『高齢者は和室へ』など避難生活のマナーや段取りを決めておくことが重要」と指摘する。

 避難者が学校の体育館などの避難所で寝泊まりし、集団生活を送ることは、想像以上の心労となる。プライバシーや要援護者への対応など事前に準備すべきことは多い。

 取材陣が避難住民の重荷になった一面もあり、報道体制にも課題が残った。

 一方で、一関市の本寺小では一関地域婦人消防協力隊や日本赤十字奉仕団が炊き出しなどで支援。近くの温泉施設も施設の無料開放などで、避難者を支援。迅速な地域の助け合いが光った。

 3日現在、一関市と奥州市で自宅を離れている住民は91人。避難生活は長期化の様相を呈している。

 奥州市の災害救援ボランティアセンターで支援にあたる新潟県柏崎市社会福祉協議会の大塚真光子地域福祉係長(37)は「柏崎は震災から1年たつがまだ週に数件、相談がある。被災者のニーズがどう出てくるか分からないので、SOSを早く聞き出す環境づくりが重要」とアドバイスする。

【写真=本寺小体育館から厳美公民館山谷分館へ引っ越し作業をする避難住民と市職員ら=6月25日】


BDMAT 運用ルール策定急務 2008年 7月5日

 「県庁四階(県総合防災室)の人たちに何か言われようとも、私が行くべきだったと今は思う」

 元県立花巻厚生病院の災害派遣医療チーム(DMAT)班長の真瀬智彦医師は、混乱する現場の中で全力を尽くした医療仲間を思いやった。

 真瀬医師は現在、防災と直接的な関係のない県長寿社会課に医務主幹として勤務。積極的なアドバイスをためらった。

 「対策本部に(私のような)医療サイドの統括がいれば、今回のような混乱は起こらなかっただろう。防災計画の中にしっかりDMATを組み込み、体制をつくる必要がある」と話す。

 岩手・宮城内陸地震では本県の「岩手DMAT」が初出動し、超急性期医療、いわゆる「がれきの下の医療」がスタートした。

 しかし、奥州市の県立胆沢病院DMATは、二次災害の危険があるがけ崩れ現場を2時間近く歩いてバス転落現場へ向かった。要請したヘリが飛ばず、重傷者を1時間近く待たせるミスも発生、県との連携不足などの課題が浮き彫りとなった。

 当時、災害対策の指令塔だった県総合防災室は、DMATが活動していること自体を把握していなかった。

 本県でDMATが発足して2年以上たつが、県の防災計画にはDMATの運用などは盛り込まれておらず、消防など現場レベルでも理解が進んでいなかったためだ。

 結果的に、現場のど真ん中にいながら情報伝達と指揮命令系統の外に置かれ、DMATは「孤立」してしまった。

 県は、今月下旬に開く災害拠点病院連絡協議会で今回の問題点を検証し、年度内をめどにDMATの運用ルールを策定。県防災計画にも規定する方針だ。

 県高度救命救急センターの秋冨慎司医師は「今回の災害を経験した全機関の代表が集まって検証し、相互理解を深めながら今後の体制を構築すべきだ。達増知事がリーダーシップを発揮し、本格的な整備を進めてほしい」と望む。

 また、他県のDMATとの連携や費用負担、出動中の事故の補償などは、国の制度自体が十分整っていない。

 県医療国保課の柳原博樹総括課長は「まずは県独自の仕組みづくりをしっかり行う。さらに全国の自治体と連携し、DMATの法整備を国に求めていく」と動きだした。

【写真=余震が続く中、バス転落現場を目指してがけ崩れの近くを進むDMAT隊員。指揮命令や情報伝達の不備が浮き彫りとなった=6月14日、奥州市胆沢区(岩手DMAT撮影)】


C「想定外」の活断層 空白域の解明が必要 2008年 7月6日

 地震計は振り切れていた−。岩手・宮城内陸地震で、原子力安全基盤機構が一関市厳美町に設置した地震計。記録できる上限値を超えていた。

 地震計はもともと「微小地震」観測が目的。同機構の儘田(ままだ)豊主任研究員は「ごく小さい地震が狙える場所として、ここを選んだ。まさか大地震が来るとは」と驚きを隠せない。

 小さな揺れを想定していたため、感度は通常の地震計の10倍。震源近くでは振り切れるなど、巨大地震は「想定外」だった。

 文部科学省は「近年国内で発生した最大規模の逆断層型内陸地震」として、発生メカニズムなどの調査に乗り出した東北大、東京大などのチームに緊急の科学研究費を交付した。

 代表者の海野徳仁東北大教授(地震学)は「まだデータが足りない状況。余震分布などがそろえば、断層の正確な位置や仕組みも解明できるだろう」と状況を見ている。

 複数の研究者が地震断層とみられる地表変位を確認しているが、地下の断層の様子を一致させるためにも、観測結果が待たれる。

 その地震断層があった一関市厳美町柧木立(はのきだち)では、鈴木康弘名古屋大教授(変動地形学)らが掘削調査。過去に活動した形跡を見つけ主断層ではないものの活断層と確認した。

鈴木教授は「これまでは明らかに活断層と分かる場所が示されてきたが、調査すべき場所はたくさんある。細かく調べなければ駄目だ」と訴える。

 県内には3本の活断層があるとされていたが、それ以外にも存在する可能性は否定できない。特に地下部分での解明が重要だ。

 東京大地震研究所の島崎邦彦教授(地震学)は「地表に出ている部分が短くても地下で数十キロにわたることもあり、マグニチュード7クラスの大地震を起こす」と解説する。

 一関市周辺は活火山の栗駒山や群発地震など、地下への警戒を指摘する声はこれまでもあった。しかし「逆断層型」の直下型地震が起こるという指摘はなく、いわば地震研究の空白域だった。

 同地域に詳しい土井宣夫・前県火山対策指導顧問は「地下構造を把握するため従来よりはるかに精密な調査をしなければならない」と指摘する。

 いまだ知られていない活断層の探査は地道な作業。国にはさらに細かく、丁寧に活断層を見つめる姿勢が求められている。

【写真=今回の地震で、東側(左)が隆起し、地表が約30センチずれた活断層。空白域でも細かな調査が求められる=5日、一関市厳美町】


Dカスリーン・アイオンの教訓 搬入路整備を迅速に 2008年 7月7日

 岩手・宮城内陸地震発生翌日の15日。一関市役所2階の市災害対策本部は深夜になっても関係者でごった返していた。その中に市幹部に面会を求める作業着姿の男たちがいた。

 大規模な土砂崩落により、一関市厳美町市野々原(いちののばら)の磐井川はせき止められ、この「土砂ダム対策」が緊急課題となっていた。

 作業着姿は宇部貞宏宇部建設社長(71)ら県建設業協会一関支部の3人。「国道342号は通れない。土砂ダム現場に重機を運び込むため川越えの迂回(うかい)路が必要。これは自分たちがやる」と市に伝えた。

 市野々原では磐井川右岸の山林が長さ700メートル、幅200メートルにわたり崩れ、173万立方メートルの土砂が川をふさいだ。土砂ダムは刻々と水位を増す。「もし大雨が降ったら」。時間との戦いの中で、ポンプや重機の空輸などあらゆる可能性が検討されていた。

 60年前、二つの台風が一関を襲った。1947年のカスリーンは死者100人、被災者約2万2000人、流出・全壊家屋331戸。翌年のアイオンは死者234人、被災者約2万人、流出・全壊家屋802戸。

 地元では「洪水に加え、磐井川上流で大規模土石流が発生し市街地に大きな被害を与えた」と伝えられている。

 宇部さんは15日、支部の仲間5人で市野々原の現場を歩いた。「対岸には養殖場につながる舗装道路がある。こちらから川に下りられれば重機を陸路で搬入できる」。翌16日、急坂の河畔林にバックホーを投入。重機は立ち木を倒しながら進み、17日夜までに道路を造った。

 20年ほど前、宇部さんは土砂ダム近くの現場で工事をした。地元の他業者も同じ。土地勘に加え、地縁血縁を頼りに搬入路の地権者3人との交渉も進めた。

 佐々木組土木部長菅原三也さん(53)は「地元を知る者たちが気持ちを一つにしてできた。その後の復旧工事も、みんなが一体となり頑張っている」と市野々原や産女(うぶすめ)川で働く同僚の気持ちを代弁する。

 カスリーン、アイオンなど水害に襲われた一関。市民が共有する教訓は今回の地震で生きた。

【写真=土砂ダム対策のため立ち木を倒し、重機搬入路を造成するバックホー=6月17日、一関市厳美町】


E緊急地震速報 直下型や伝達に課題 2008年 7月9日

 昨年10月から導入された緊急地震速報。岩手・宮城内陸地震でも出されたが、課題も浮かんできている。

 震度6強の奥州市衣川区など震源地から約30キロの範囲では、揺れの後に速報が出された。震源の深さ約8キロと内陸の浅い地震だったためだ。

 一関市厳美町若井原の商店経営伊藤吉道さん(64)は「テレビをつけていたが、速報は全く気付かなかった。揺れが来て、すぐに停電になった」と振り返る。

 初期微動(P波)を検知し、大きな揺れ(主要動、S波)が震度5弱以上と予想された場合に発表される同速報。揺れの前の速報は、直下型では以前から困難とされてきた。

 気象庁の横田崇地震津波監視課長は「内陸で起きた場合は震源直上では間に合わない例がある」と説明する。

 震源から30キロ以上離れた場所では揺れの前に速報できた「成果」もあった。しかし今のところ、多くの地域ではテレビなどを通じて知るしかない。防災無線などでの速報は効果的だが、取り組みは進んでいない。

 そんな中、釜石市は4日、気象庁、消防庁と連携し、市民対象の緊急地震速報対処訓練を行った。速報は同市が導入する消防庁の全国瞬時警報システム(J―ALERT)を通じ、防災行政無線で市民に伝えられた。

 速報から防災行政無線が自動起動するまで12秒。テレビやラジオの速報より遅れるが、有効な手段だ。訓練で市は事前に「午前中に行う」とだけ広報。具体的な時間は教えず、緊張感を演出した。

 釜石市の末永正志消防防災課長は「速報は期待もある半面、人が多く集まる場所では出入り口に殺到するなど二次災害の危険性もはらむ。取るべき行動を体に覚えさせる必要がある」と狙いを説明する。

 県内でJ―ALERTが導入されているのは沿岸5市町のみ。速報をより多くの人に伝える手段が確立されていないのが現状だ。

 社会安全研究所(東京都)の木村拓郎所長は「緊急地震速報は従来の災害対策のプラスアルファととらえたほうがいい。使いこなすための訓練が必要だ」と指摘する。

 近い将来に予想される津波を伴う宮城県沖地震などでは、緊急地震速報は有効な被害軽減手段の一つとして期待もされる。しかし精度、運用、周知など課題を早く確実に解決することも求められる。


F生活再建支援 知恵絞り独自の策を 2008年 7月10日


 「今の収入では、借金をしても返せない。建て替えは自力ではどうしようもない」。一関市厳美町の農業伊藤照郎さん(72)は、裏山が崩れ杉が押し寄せ大きく傾いた自宅を見上げた。

 伊藤さんは妻マシエさん(68)と2人暮らし。自宅の真下を通っていた未知の活断層が生活を一変させた。半壊した自宅は建て替えが必要だが、公的支援は受けられず、自己負担も厳しいのが現状だ。

 被災家屋への支援は、国の被災者生活再建支援制度で定められている。その要件は全壊住宅が10世帯以上の市町村や100世帯以上の都道府県。

 9日現在、一関市は全壊1棟、半壊2棟、奥州市は半壊2棟で、国の制度は適用されない。被災者らは、保険が適用されない場合は自己負担を強いられる。

 公的支援は道路などハード面の復旧工事が中心。住宅などの個人資産には手が届かないケースが多い。

 県は独自の被災住宅支援策を検討している。住宅に限らず、生活再建に必要なきめ細やかな支援が求められている。

 2004年の新潟県中越地震、07年の中越沖地震で被害を受けた新潟県は、国の支援を受け両地震の復興基金を創設した。復興基金事務局の佐藤武幸事務局長は「公的支援は、議会の承認など手続きに時間がかかり、被災者に十分対応できない場合がある。それを補うのが復興基金の支援」と役割を語る。

 新潟県中越大震災復興基金の中には、金融機関の融資を受けることが難しい高齢者向けの緊急融資制度もあり、被災者の将来設計を支えるため柔軟に運用している。

 旧山古志村の山古志復興ビジョンに携わった社会安全研究所(東京)の木村拓郎所長は「立派な橋や道路が完成しても住民がいなくなってしまえば再建ではない。復興計画は被災者の生活再建が柱だ。首長は市全体で復興を行う意識を高め、行政は困っている人を見捨てないという姿勢を示してほしい」と助言する。

 「みんな一緒に集落に戻ることを念頭に集団移転した。元のような生活を送りたい」。厳美公民館山谷分館に避難している佐藤勝雄区長(70)の思いを受け止め、現行制度にとらわれず岩手、宮城両県で力と知恵をしぼり、復興の道を歩みたい。(終わり)

(岩手・宮城内陸地震取材班)

【写真=裏山が崩れ倒木が襲った伊藤照郎さん宅。生活再建へ支援の手は届くのか=7日、一関市厳美町】

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